2017年08月06日

李 信(り しん、生没年不詳) 中国戦国時代から秦代にかけての秦の武将


李 信(り しん、生没年不詳)

 中国戦国時代から秦代にかけての秦の武将。 
 
 紀元前229年〜紀元前228年、秦王政(後の始皇帝)に仕え戦国時代末期を代表する名将
   王翦
が数十万の軍を率いて趙と対峙している時、李信は趙の太原、雲中に出征していた。
 (王翦は、趙、楚を滅ぼすなど秦の天下統一に貢献)
 
  
 紀元前226年、王翦と王賁は、前年の燕の太子丹が主導した荊軻による
   秦王政(後の始皇帝)暗殺未遂事件
の報復として、燕都・薊を攻略した。
 燕王喜と太子丹は遼東に敗走し燕は事実上の滅亡した。
 この際、李信は、約1000の兵を率いて燕軍を追撃して、太子丹を討ち取った。

 紀元前225年、秦王政は、楚の征服を計画し対楚戦にどれだけの部隊が必要かを諮問した。
 李信は、「20万」が必要だと語った一方で王翦は、「60万」が必要だと語った。

 秦王は、王翦が耄碌したものと捉え、李信の案を採用して侵攻を命じた。
 李信は総兵数20万を二つの部隊に分け、李信は平輿で、蒙恬は寝丘で楚軍に大勝した。

 さらに、李信と蒙恬は、郢周辺を攻め、再び楚軍を破った。

 城父で李信と蒙恬が合流した所を、三日三晩追跡して来た
   項燕
が率いる楚軍に奇襲され、2カ所の塁壁を破られ7人の将校を失う大敗を喫した。
 そのため、王翦と交代させられた。

 なお、翌年には王翦と蒙武が60万の兵を率いて楚を攻め、楚王負芻を捕虜にして楚が滅亡した。
 
   
 紀元前222年、王賁と共に燕の遼東を攻めた。
 燕王喜を捕虜とし、これを滅ぼした。
 さらに、代(趙の滅亡後に趙の王族が代に逃れて樹立した政権)を攻めて代王嘉を捕え、代を滅ぼした。

 紀元前221年、王賁と蒙恬と共に斉を攻め、これを滅ぼしている。




 

    
 

posted by manekineco at 08:27| Comment(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

米国民の意識を海外での軍事行動に反らすといった思惑が出てくるかも


 5月に再選を果たしたイランの
   ロウハニ大統領
は5日、テヘランで欧州連合(EU)の
   モゲリーニ外交安全保障上級代表(外相)
と会談し、主要国と結んだ核合意について「相手が違反しない限り順守すると述べた。

 また、米国の度重なる違反と対イラン追加制裁については
   「イランの世論に悪影響を及ぼす」
と圧力を強める米国に強い不信感を示した。
 
   
 ロウハニ大統領は今月3日の最高指導者ハメネイ師による認証式で、1期目同様に国際社会との対話協調路線を堅持する方針を表明した。

 核合意に沿った経済制裁解除の拡大を実現し、雇用増や経済の再生に注力する考えを示していた。

 5日の会談では、核合意の重要部分は経済、金融、貿易関係の円滑化であり、早急かつ完全に実施されるべきだと述べ、一層の関係改善努力をEUに促した。

 ロウハニ大統領は同日、国会で2期目の宣誓式に出席した。
   
 演説において、米国は、効果のない制裁と脅迫に固執していると主張したうえ核合意を破棄すれば、自らの政治生命が終わることを悟るべきだと改めて結論ありきの政治的思惑が目立つ米国の
   ドナルド・トランプ氏
をけん制した。
  


ひとこと

 米国大統領選挙や公約の履行において、米国内に多数の対立軸を作りだしてしまった扇動的な発言が目立つトランプ氏も、ロシアゲート事件の捜査の進展によっては弾劾裁判を受ける身になる可能性が高い。

 そうした身から出た錆のごとき諸問題を解決するために過去の大統領が実施した軍事行動を目論む可能性がある。
 予算の確保の面から見れば9月末が限界だろう。



   
  


posted by manekineco at 07:05| Comment(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする