2018年09月03日

幼稚な対応が墓穴を掘っているのかも。

  
   
 米国ホワイトハウスは、マケイン上院議員が亡くなったのを受けて半旗を掲げた。
 ただ、27日、異例の早さでそれを取りやめて、批判を受けたため、その日のうちにまた半旗に戻した。
 
 トランプ大統領が政治的に対立していたマケイン議員に十分な弔意を示さなかったという批判が尾を引く可能性がある。
 今月25日に亡くなったマケイン上院議員は、与党・共和党でありながらトランプ大統領の外交や移民政策を厳しく批判し、両者は対立してきた。
 
 ホワイトハウスは、マケイン氏が亡くなったのを受けて形式的に半旗を掲げたものの、27日、それをやめてしまい、通常の高さに戻した。
 
 
 これまでホワイトハウスでは、上下両院の議員が亡くなった日の翌日まで半旗を掲げることが法律で定められている。
 ただ、実際には埋葬まで半旗を掲げることがほとんどであり、異例の短い半旗掲揚への対応について、メディアや退役軍人から批判が高まった。
 この批判をかわす為か、トランプ大統領は27日午後、声明を出したうえ、マケイン氏の埋葬の日までホワイトハウスで半旗を掲げるよう指示し、再び半旗が掲げられた。
 また、大統領は、ホワイトハウスでの会合で「マケイン氏が国のために貢献したことに感謝している」と述べたものの、政治的に対立していたマケイン氏に十分な弔意を示そうとしなかったという批判が出ている。
 
 
ひとこと
 
 トランプ大統領の周辺への捜査が進んでおり、起訴された被告も出始めている。
 謀略的な批判を繰り返すが、素行や発言の悪さが信用を失墜しており支持率が低下してきている。
 
 起死回生の軍事行動でも、亡くなったマケイン氏への対応を見ればマスコミへのリークで丸裸になりかねない。
 情報機関との対立も米国の国益を害するものであり、弾劾裁判になったのちのトランプ帝国は風前の灯となり果てかねない。
 
 こうした米国政権に媚びる日本の政治家では話にもならない。
  

 



     
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孺子 嬰(じゅし えい) 前漢最後の皇太子


孺子 嬰(じゅし えい)

   元始5年(5年)−更始3年(25年)

 前漢最後の皇太子で本名は劉嬰

 摂皇帝
   王莽
の傀儡として皇太子の位のままで、帝位には即けなかった。
 ただ、一般には「前漢最後の皇帝」として歴代に名を連ねる。
 

 元始5年(5年)12月に平帝が崩御すると、翌居摂元年(6年)3月に「摂皇帝」となっていた王莽により劉嬰が数え2つで皇太子に立てられ「孺子(意味 こども)」と号し、表向きには成人後に即位することが予定されていた。

  
 ただ、王莽がまだ幼児の皇太子に変わる
   「摂皇帝」
の地位を確保し、朝政の万機を総覧するための方便でもあった。

 居摂3年(8年)、王莽は劉嬰の摂政としての役割である「摂皇帝」の号を「仮皇帝」と改めた。
 同年、王莽は
   高祖(劉邦)の霊
により禅譲を受けたとして皇帝に即位、「新」を建国とすると、劉嬰を新の諸侯として定安侯に封じた。

 ただ、その新も経済政策の失敗や遠征軍の敗退などで国民の不満が爆発しあっけなく反乱が広がり崩壊し、新末後漢初の内乱時代に入った。こ

 の時期、隴右に割拠していた隗囂の軍師である
   方望
は、常日頃から漢朝復興を目指して活動していた。

 更始3年(25年)1月、方望は弓林という人物を同志として誘った上で、定安侯劉嬰を長安から探し出し皇帝の地位につけた。

 劉嬰、方望らは兵卒数千人を率いて安定郡臨(現在の甘粛省鎮原県)に入城した。
 ここで劉嬰は方望を丞相、弓林を大司馬にそれぞれ任命した。

 こうして地方政権ながらも、劉嬰はついに皇帝となった。
  

 王莽を滅ぼして長安を拠点としていた
   更始帝(劉玄)
は、同様に漢の皇帝を称する劉嬰の存在を許さなかった。

 更始帝は配下の将軍である李松・蘇茂・劉祉らに劉嬰討伐を命じ、この戦いに敗れ僅かの期間の内に劉嬰・方望・弓林は戦死した。
 劉嬰、享年21だった。
  



 
  
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