サウジアラビア検事当局は、20日土曜、声明の中で、カショギ氏の死亡を認めると共に、「カショギ氏は今月2日、領事館で関係者と面会を行った際、言い争いになって死亡した」と発表した。
サウジアラビア検事当局は、身柄を拘束したとされる容疑者は、カショギ氏がサウジアラビアに帰国する可能性について話し合うためにイスタンブールを訪れていたと説明した。
こうした中、多くの国では、カショギ氏の死亡に関するサウジアラビアの主張は、カショギ氏は領事館から出たとしていたこれまでの主張と矛盾するものだと非難している。
こうした中、多くの国では、カショギ氏の死亡に関するサウジアラビアの主張は、カショギ氏は領事館から出たとしていたこれまでの主張と矛盾するものだと非難している。
カショギ氏は、権力者の専制主義的な権力の収奪の動きに対し、メディアで繰り返し批難してきたため、サウジアラビア政府を率いる
ムハンマド皇太子
の指示による拘束を恐れ、米国に亡命して暮らしていた。
大きな疑問が残ったままである。
ムハンマド皇太子
の指示による拘束を恐れ、米国に亡命して暮らしていた。
大きな疑問が残ったままである。
サウジアラビアは当初、カショギ氏の
失踪については何も知らない
と完全に否定していたが、今になって、カショギ氏はイスタンブールのサウジアラビア領事館内での
言い争い
の末に死亡したと認め、事態の収拾に動いたのかということだ。
ただ、このサウジアラビアの偶発的な事故との主張を認めたとしても、カショギ氏の遺体を何故隠す必要があったのか、また、一体どこにあり、何が起こったということが不明なままだ。