2019年01月26日

「ロシアは、実は日本よりももっと恐ろしかった」


 中国メディア「東方網」は24日
   「ロシアは、実は日本よりももっと恐ろしかった」
と題する記事を掲載した。
 
 現状においてはロシアは中国と友好関係を築き米国と対抗する構図を呈しているものの、帝政ロシア時代にはシベリア鉄道の敷設による権益の拡大で清朝への圧力を強めたうえ、朝鮮半島を確保する動きを示し多くのロシア人がモンゴル地域などまで権益網を広げ中国を飲み込もうとしていたと紹介した。
 この記事によると、ロシアについて中国人の多くが中国に対して有効な国といったイメージを持っているが、100年前の帝政時代のロシアは陸軍大国として周辺国を侵略して君臨しており、清朝末期には中国に国土の大部分を侵略、占領する軍事的脅威があったと指摘した。
 
 ロシアは万里の長城より北にある中国の領土を併合したが、幸いこの計画は日露戦争の敗北で成功しなかったと続けた。
 
 もしロシアの侵略が成功していたら「北京が国境都市になっていたことだろう」と紹介した。
 また、帝政ロシアは清朝末期に中国東北部の
   鉄道権益を獲得
するとともに東清鉄道沿線に軍隊を駐留させた。
 
 現地住民の生活に大いに干渉していたと説明した。
 その後、アヘン戦争で敗北した清朝では西欧列強の権益の拡大に呼応するようにキリスト教の布教活動が活発化し、こうした西欧文化の浸透に反発刷る勢力が中心となり義和団が蜂起して排外的な軍事行動が拡大して言った。
 
 義和団はロシアの権益である鉄道を破壊するが、これがかえってロシアに出兵の機会を与え、最後のロシア皇帝ニコライ2世が長城以北をロシアに併呑する計画を立てた。
 同時期には義和団鎮圧名目で欧米列強が北京まで軍事侵攻して略奪を繰り返していた。
 領土併合の計画を立てたロシアは、
   「清朝政府の秩序維持と安定を助ける」
という大義名分のもとで18万人の大軍を中国東北部に出兵させ、東北部の占領を認める条約を清朝に迫った。
 
 ただ、この条約は清朝のみならず他の列強も反対したことで反故になった。
 
 1904年には再びロシア軍の撤退と交換にロシアに東北部の特権を与えるという条約を結ばせたうえ、約束を守らずに軍隊を撤退させなかった。
 最後に、帝政ロシアの壮大で、恐ろしい計画が最終的に失敗に終わった理由として、ロシアが
   日露戦争に失敗
したことを指摘し、辛亥革命で崩壊した清朝の皇帝の民族的な本拠地に満州国を建設させた日本が「間接的に、中国の東北部を守る結果になった」と伝えた。
 

   
ひとこと

 中国のメディアも偏向的な歴史をいつまでも報道し、中国国民の意識をコントロールできなくなりつつある状況の一端を垣間見せるものだろう。

 政治体制が飢饉等が要因となり反乱が広がって崩壊してきたことで、国民の数が激減する事態、いわゆる「人口崩壊」が繰り返された中国では、漢民族が建国した国より、遊牧民族による支配で建国された時期が長いともいえる。

 太平洋戦争後の中国内での内戦より、辛亥革命以前のアヘン戦争以降に起きた大規模な騒乱状態でも多くの中国人が短期間に犠牲となっており、太平天国の乱においては4億人の人口が5000万人も減少しているといった統計もある。

 これが、三国志時代を見れば5800万人が800万人程度まで激減した。


 こうした人口崩壊を繰り返し体験し民族的な中国と太平洋戦争で人口の8%程度を減少させた日本とは「殺伐」とした思考の差があるのは当然といえば当然だろう。
    
    
posted by manekineco at 05:51| Comment(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする