2019年02月02日

李氏朝鮮(이씨조선)


李氏朝鮮(이씨조선)

 1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家で略称は李朝(りちょう)と呼ばれる。
 李朝は歴史の順番によって高麗の次の王朝で朝鮮半島における最後の統一国家でもあった。

 女真族を出身とする高麗の武将
   李成桂太祖
が1392年に恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。

 李成桂は翌1393年に中国の明朝の力を頼み
   権知朝鮮国事
に封ぜられた。

 朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたもの。
 明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは三代目の太宗の治世の1401年であった。

 なお、中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の
   冊封体制下
にあった。

 李氏朝鮮では東人派や西人派、老論派、南人派など党派対立が激しく、政権交代は対立する派閥の
   虚偽の謀反
を王に通報といった形で無実の者が粛清という形で9族皆殺しといった処刑が繰り返さてるなど多くの獄事が起こった。

 1894年の日清戦争後に日本と清国との間で締結した
   下関条約
によって李氏朝鮮は清王朝を中心とした冊封体制から離脱することが出来た。
 この後、近代国家としての形式的な独立や実質的な地位を得ることが出来た。

 李氏朝鮮は1897年に国号を
   大韓帝国
と改め、君主の号も皇帝とした。
 これ以後、中国の支配を脱出して日本の影響下に入った。

 大韓帝国の国家主権を維持するために生口などの朝貢をしてきた冊封体制下における清朝から日本へと影響を受ける主体が変化した。

 不凍港を求め領土を拡大してシベリア鉄道の敷設権益を強めていたロシア帝国は満州までの利権を確保し、朝鮮半島への進出を目論んで活発に活動を行っていた。

 1904年に締結された第一次日韓協約で日本人顧問が大韓帝国の政府機関に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管し、ロシア帝国に対する軍事的協力を必要とした。

 こうした過程を経て、開明派が画策した1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国が日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅し、義務教育の実施や衛生面の飛躍的な向上が見られ幼児の致死率が激減し人口増加が起きている。


     
posted by manekineco at 00:00| Comment(0) | 語彙・語句・ことわざ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする