勲旧派(くんきゅうは)
李氏朝鮮朝における政治派閥の一つで士林派との対比で使われている。
組織には貴族階級である大地主の両班が多く含まれており、1455年の第7代国王である世祖の擁立に功績があった勲臣と、その子孫達で構成されていた。
これに対し、朱子学を修めた新興の科挙官僚である士林派は、中小の在地両班がその中核を占めた。
士林派が経済的な安定で権力を侵食して力を確保していくなか脅威となったため、権力を殺ぐために大規模な粛清(士禍)が行われた。
ただ、1567年の宣祖即位以降は士林派が再び積極的に登用されるようになった。
このため、勲旧派は政治の舞台から粛清されて消えている。
なお、高麗末期の李成桂擁立の功臣やその子孫を勲旧派に含んで呼ばれる場合もある。