中国国営の中央テレビ(CCTV)は
李克強前首相(68歳)
が27日、心臓発作で死去したと報じた。
李氏は今年3月まで10年間、習近平国家主席に次ぐ中国ナンバー2として首相を務めていた。
後任の首相には習氏の側近、李強氏が就いた。
CCTVによると、李克強氏は突然の心臓発作に26日見舞われ、救命措置が施されものの、27日未明に上海で亡くなった。
李氏は1955年7月、安徽省生まれで父親は地方の役人だった。
毛沢東初代国家主席が毛劉少奇派の粛清と権力奪取を目的として推し進めた文化大革命当時、李氏は同省農村部で労働に従事するかたわら、共産党に入党した。
遼寧省と河南省のトップを務めて、頭角を現した。
河南省では高成長を主導するとともに、農村住民にエイズウイルス(HIV)感染を広げた献血スキャンダルにも対応した。
李氏は首相就任後、行政の無駄を省き企業減税を進める基本方針に基づく政策を打ち出し
「新しいスタイルの都市化」
を提唱し、都市の成長を雇用・公共サービスに結びつけるよう奨励した。
ただ、中国共産党の総書記でもある習氏が重要な経済政策の決定を自身と習氏が右腕として頼る副首相だった
劉鶴氏
が率いる一連の党委員会に移したことで、李氏の役割を狭めさせるなど政治的権力を封殺した。
今年3月の全国人民代表大会(全人代)で、首相は2期(1期5年)までという任期制限に従い李氏は退任した。
2022年10月の共産党大会を経て、7人から成る党の最高意思決定機関、党中央政治局常務委員会からも外された。
李氏は1980年代に英国人判事の憲法に関する著作を英語から翻訳し、比較的リベラルな官僚という評判が定着していた。
その後、経済学の博士号を取得するため市場改革などについて学んだ。
胡錦濤前国家主席に近かった李氏は、党指導下の青年組織、共産主義青年団(共青団)出身で太子党の習近平氏とは派閥が異なる。
李氏は首相に就任すると経済の投資依存を抑制するため、行き過ぎた支出を減らすよう指示した。
バークレイズのエコノミストらは同氏の政策を「リコノミクス」と呼び、そのアプローチを「景気刺激策なし、レバレッジ解消、構造改革」と評した。
李氏はまた、遼寧省時代に成長を測る指標とし、電力使用量と鉄道貨物量、銀行融資を用いた。
中国は昨年終盤まで徹底的に新型コロナウイルスを抑え込む「ゼロコロナ」政策を堅持した。
ロックダウン(都市封鎖)など厳格な措置に反発する国民の抗議行動が各地に広がると、李氏は経済成長とパンデミック対策のバランスをとるよう地方当局に繰り返し要求した。
李氏は地方幹部数千人を集めた緊急会合でも、景気がこれ以上落ち込まないように断固として動かなければ、悲惨な結果になると警告した。
ただ、経済分野で活躍してきた他の指導者が退任後も政策に影響を与え続けていた。
これに対し、李氏は影響力は習近平らから適しされ排除されていた。
中国のインターネット上では27日、李氏を悼む声が広がった。
ソーシャルメディアの微博(ウェイボ)では、李氏の訃報が約13億回視聴され、ほとんどのコメントが李氏の死に対するショックと悲しみを表していた。
ひとこと
習近平の権力集中により能力的には劣った輩が周囲にはびこり、経済の悪化を招き、シャドーバンク問題や不動産の信用崩壊など中国経済が崖っぷち状態に陥ってしまっている中、習近平に変わる人材として李氏は期待される存在だが、権力欲に取り憑かれた習近平派の政治的摩擦を目論んだ謀略の臭いもしてくる出来事だ。
posted by manekineco at 22:16|
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