2024年08月10日

同姓の人物を混同してしまったトランプ氏、高齢批判のブーメランが直撃しあたふた

 米国大統領選挙における共和党候補のトランプ前大統領が8日に行われた記者会見で、民主党の大統領候補
   ハリス副大統領
と一時期交際していたとされるサンフランシスコ元市長
   ウィリー・ブラウン氏
と、カリフォルニア州元知事の
   ジェリー・ブラウン氏
を混同する場面があったという。
 トランプ氏はウィリー・ブラウン氏について「一緒に乗ったヘリコプターが墜落しかけて緊急着陸したことがある」と回顧した。
 また、同氏がハリス氏について「ひどい」発言をしたと主張した。
 
 これに対しウィリー・ブラウン氏は、米紙サンフランシスコ・クロニクルに、トランプ前大統領とヘリコプターに乗ったことは一度もなく、ハリス氏を非難する発言をしたこともないと言明した。
 NBCニュースの報道によると、トランプ氏は2018年、当時カリフォルニア州知事を務めていたジェリー・ブラウン氏とヘリコプターで同州の火災被害地域を視察している。
 トランプ氏は民主党候補として再選を目指していたバイデン大統領が選挙戦から撤退するまで
   認知機能の衰え
   高齢批判
を繰り返してきたが、口から出た言葉がブーメランとなってトランプ氏に激突したようだ。

    
posted by manekineco at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コロナ禍の影響が続く米国の雇用環境

 米国経済がコロナ禍から脱却する中で、米企業の雇用主はロックダウン後の意欲的な消費需要に追いつくだけの十分な労働者確保に苦労した。
 2022年3月には、失業者1人に対して2件の求人があった。
 労働者を引きつけるために
   高額の昇給
やその他の
   インセンティブ
を提供し、物価に上昇圧力がかかった。

 ただ、FRBが物価上昇と闘うために2022年と23年に積極的な利上げを実施し、一定の景気鈍化を引き起こした際に、雇用主は予想されていたような反応を示さなかった。
 求人数は徐々に減少したが、解雇はほとんどなく、失業率は低水準を維持した。

 失業者1人当たりの求人がおよそ1件と、2019年の水準とほぼ同じになった現在、需要軟化は失業率の上昇につながり得ると当局者は警告している。

 この日発表された先週の米新規失業保険申請件数は、ここ1年近くで最大の減少となった。


posted by manekineco at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シスコシステムズが新たに数千人の従業員を削減(ロイター)

 ロイター通信がネットワーク機器メーカーの米シスコシステムズは、今年第2弾となる人員カットでさらに数千人を削減する計画と報じた。
 同社はサイバーセキュリティーや人工知能(AI)といった急成長ビジネスに軸足を移している。

 シスコは2月に約4000人を削減した。
 企業のテクノロジー支出減速を受け、売り上げが減少に転じていた。
 2023会計年度(23年7月末終了)末時点の従業員数は約8万5000人だった。

 テクノロジー企業の間では、
   不安定な需要
に対応する中、雇用削減の動きが相次いでいる。
 AIへの投資は一部分野での成長促進につながっているが、伝統的な巨大IT(情報技術)企業はそれほど恩恵を受けていない。
 インテルは先週、1万5000人を超える人員削減を発表した。
 デル・テクノロジーズもセールスチーム再編の一環として、人員削減を実施している。

   
posted by manekineco at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

政治体制を超越したつもりか、勝手気ままな日本人記者の質問が害を広げる可能性

 パリ五輪ボクシング女子53キロ級の韓国代表
   イム・エジ選手
と北朝鮮代表
   パン・チョルミ選手
がそろって銅メダルを取り、授賞式と記者会見で一緒になった。
 パン・チョルミ選手は終始、硬い表情をしていましたがイム・エジ選手の
   ユーモラスな一言
で笑顔を見せたという。
 今回のパリ五輪で北朝鮮の選手たちは韓国の選手たちとの接触を歓迎していないように見えただけに、異例のことでした。ク・ミンソン記者がお伝えします。
 
 韓国ボクシング史上、女子選手としては初の五輪メダルを獲得したイム・エジ選手が、同じ銅メダルの北朝鮮パン・チョルミ選手と共に記者会見の場に現れた。
 明るい表情のイム・エジ選手とは違いパン・チョルミ選手の表情には緊張感があふれていた。
 両選手は2018年のジャカルタ・パレンバン・アジア大会の時から親交を深め、競技場で会うとお互いにあいさつし、励まし合ってきたという。

 パン・チョルミ選手は質問を受けるたび、記者会見場の横に立っていた北朝鮮の
   コーチ陣の顔色
をうかがっていました異様さが目立った。
 南北の選手がそろって銅メダルを取ったことについて感想を求められても
   「他の感情はありません」
ときっぱりと言い切ったが、冷ややかな反応だったパン・チョルミ選手もイム・エジ選手の一言でついに笑顔を見せました。
 日本人記者が「パン・チョルミ選手とハグしましたか?」と質問すると、イム・エジ選手は機転を利かせて「秘密にします」と答えた。
  
 周囲の人々を意識していたパン・チョルミ選手の顔にもしばらくの間、笑みがあふれた。
 北朝鮮代表選手団は今回のパリ五輪で韓国代表選手団との接触を避けていた。


ひとこと
 金正恩による恐怖独裁政治の北朝鮮で海外からの帰国者が接触した者から外国思想に染まったり愛国心が薄れたりするのを防ぐため、北朝鮮で統制を強化する「思想教育」が常に行われており、オリンピック選手も「コーチ陣の顔色」をする背景を意識すれば当然、例外ではないのも周知のことだが、「笑みがあふれた」などとの話題も問題視される可能性もある。
 無知とも言える記者の質問も工作活動やスパイ容疑等の疑いも持たれかねず帰国後、教化所送りにされるリスクを承知で意図的に質問したのか、無知で質問したのかは不明だ。何でも質問をすれば良い、その場限りで謝罪すれば収まるなどという甘い対応では済まない国もある。
   
   
posted by manekineco at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

車載チップ大手はEV先進国の中国に売上高を依存

 米国と同盟国の先端半導体企業が中国から手を引く一方で、決して先端ではない半導体の市場は中国への依存度を高めている。

 自動車搭載チップの大手メーカーにとって中国がいかに重要であるかが、最新の四半期決算で浮き彫りになった。
 需要を左右する電気自動車(EV)の普及が西側諸国では遅く、在庫が積み上がり、こうしたメーカーは販売に苦慮している。

 NXPセミコンダクターズの最高経営責任者(CEO)
   カート・シーバーズ氏
は、製造業市場が弱い欧米などとは対照的に、今年は中国でのEV販売が「驚異的に伸びた」と指摘した。
 
posted by manekineco at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

金融市場動揺はハードランディング示唆するに至らず(ハートネット氏)

 バンク・オブ・アメリカ(BofA)の
   マイケル・ハートネット氏
は世界の金融市場の動揺は、経済のハードランディングを懸念させるような規模にはまだ達していないと指摘した。

 S&P500種株価指数は7月中旬に付けた史上最高値から約6%下落したが、5050付近の200日移動平均線をまだ上回っている。30年物米国債利回りは4%を下回っていない。

 ハートネット氏はリポートで「ウォール街のシナリオをソフトランディングからハードランディングへと転換させるテクニカル水準は破られていない」と指摘した。「
 投資家のフィードバックは『混乱している』が、米利下げへの期待は、債券よりも株式への選好が市場の相場急落によって終わってはいないことを意味する」と続けた。

 同氏によれば、次に注目すべきテクニカル水準は、大手ハイテクに株に連動する上場投資信託(ETF)とフィラデルフィア半導体株指数の200日移動平均線という。

 現在はそれぞれ200日移動平均線のすぐ上で推移している。
 なお、下げが再開するようならば、S&P500種の次のサポートは2021年の高値になり、これに抵触することはさらに10%の下落を意味するという。

 また、米連邦準備制度理事会(FRB)が
   最初の利下げをしたら株を売るべき
だとの見解を繰り返した。
 また、人工知能(AI)トレードの勝ち組は今年後半、業績が上向くまで「低迷」すると予想している。

 その代わりに、国債、不動産投資信託(REIT)、小型株、ブラジルなどの新興市場資産など「5%の利回りでは首が絞まるが、3−4%の利回りでは楽に息ができる」資産に機会があると強調した。


posted by manekineco at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

没収関連法の専門家らが懸念するトランプ氏のビットコイン備蓄構想

 トランプ前米大統領が暗号資産(仮想通貨)ビットコインの国家備蓄創設を選挙公約に掲げたことを巡って、犯罪被害者の補償に充てられるべき
   没収資産
が備蓄へと回される恐れがあるため、元検察官らの間で懸念の声が上がっている。 
 
 トランプ氏は7月27日に開催されたビットコイン会議で、自身が返り咲きを果たせば、米政府が保有する、あるいは今後取得するすべてのビットコインを持ち続け、「莫大な富をすべての米国人に利益をもたらす恒久的な国家資産に変える」と表明した。

 米国の没収関連法では、米政府は犯罪被害者への救済と法執行を支援するために、没収資産を売却すると定めているため
   「ビットコインを決して売らない」
とするトランプ氏の方針は、没収法の核心部分に抵触する可能性があると専門家らが指摘している。
  
 
ひとこと
 トランプ陣営への大口献金者が保有する仮想通貨の運営企業からの献金狙いの発言は短絡的な思考の一端を示すものだろう。

 
posted by manekineco at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

行き過ぎであり、条件反射に過ぎない動きに過剰反応の日銀総裁発言は??

 FRBによるジャンボ利下げ予想にエコノミストは懐疑的でオックスフォード・エコノミクスのチーフエコノミスト
   ライアン・スウィート氏
は、「行き過ぎであり、条件反射に過ぎない」と述べた。
 「歴史的に、FOMC会合間の緊急利下げや25bpを超える利下げは、明らかな負の経済ショックが発生した時か、データがそれまでより悪化した時だ」と解説した。

 FOMCは7月の雇用統計発表の2日前に金利を据え置くとともに、利下げが近づいていることを示唆していた。

 当局者らは雇用の伸び鈍化を、景気減速の兆候ではあるが景気後退を示唆するものではないと考えている。

 シカゴ地区連銀のグールズビー総裁は5日、「かなり安定したレベル」で成長が続いているとの認識を示した。
 サンフランシスコ地区連銀のデーリー総裁は同日、米国の労働市場は減速しているとはいえ「そこそこ堅調 」だと述べた。

  
posted by manekineco at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

株価指数に連動するパッシブファンドが次回のリバランスで最大400億ドル相当のアップル株を購入する必要

 パイパー・サンドラ−は、バークシャーアップル株売却を受け、株価指数に連動するパッシブファンドが次回のリバランスで
   最大400億ドル相当
のアップル株を購入する必要があるかもしれないと予想している。
 これは、過去1カ月の同社株の1日当たり平均売買高の3倍に相当する規模だ。

 四半期ごとに行われるS&P500種の銘柄入れ替えは来月の予定となる。
 ファンドはその時まで見直しを控える見込みだ。
 少なくとも今のところ市場の関心は経済成長と中央銀行の金融政策に集中している。

   
posted by manekineco at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

円の巨大なポジションを考えると、日銀の行動と言葉が大きな影響を及ぼす可能性があることを最近の市場の混乱は思い起こさせた

 オーストラリア・コモンウェルス銀行の為替ストラテジスト
   キャロル・コング氏
は、内田副総裁の発言は「日銀によるダメージコントロール」で、「円の巨大なポジションを考えると、日銀の行動と言葉が大きな影響を及ぼす可能性があることを最近の市場の混乱は思い起こさせた」と指摘した。
   
     
posted by manekineco at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本銀行の追加利上げ観測を受けてトレーダーが円ショートを解消し円相場が急激に変動した背景は金融政策の対応遅れが短期に出ただけの話で、この程度の揺れで発言を訂正する愚かさは国際資本の意のままに動かされ末期的

 米国の景気後退懸念や日本銀行の追加利上げ観測を受けてトレーダーが円ショートを解消したため、円相場は乱高下した。
 数日にわたる大きな変動が一段落した今、投資家は
   次のキャリー戦略巻き戻し
が再び市場を揺るがすのだろうか、それはいつ起こるだろうかという疑問から目が離せない。

 円のショートポジションは日銀による異次元の金融政策で米国政府への利益供与とも言える安価な日本の資金の利用を可能とし、米国にとっては日本からの輸入物価の引き下げによるインフレ抑制などの効果により莫大な資金が流出し、輸出企業が得た利益の数倍とも言える価値を引き渡してきており、過去数年間をかけて蓄積されてきた愚かな思考で身動きが取れなくなってしまったもので、国際資本のトレーダーは日銀が安倍政権の政治的圧力を受けた
   超緩和的金融政策
を生かして、安価な費用で利用できる円を借り入れ、他の高利回り資産で運用して莫大な資産を築き上げてきた。
 この戦略は1980年代以来の円安を誘導し続け、日本当局の口先だけの介入を促してきた。

 新興市場8通貨バスケットの円キャリートレードは、年初から7月上旬まで投資家に17%強のトータルリターンをもたらしたとも言われている。
 なお、今回の円急騰で放置したままであれば、年初来の利益はほぼすべて帳消しになったが、数字上の話であり、円売り過程で資金が日本株式などに転換され日本企業の資産が欧米の利権網に組み込まれいる。


posted by manekineco at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヘンリー・メルヴィル・ホイットニー(Henry Melville Whitney) ウエストエンド・ストリート鉄道、ドミニオン石炭、ドミニオン鉄鋼の創設者

ヘンリー・メルヴィル・ホイットニー
        (Henry Melville Whitney)
   1839年10月22日 - 1923年1月25日
 米国の実業家で、マサチューセッツ州ボストンの
   ウエストエンド・ストリート鉄道会社
と後にノバスコシア州シドニーの
   ドミニオン石炭会社
   ドミニオン鉄鋼会社
の創設者。
 また、ボストンとニューヨーク市を結ぶ重要な交通機関であった
   メトロポリタン蒸気船会社
の社長でもあった。 
 ホイットニーは、マサチューセッツ州コンウェイで、
   ジェームズ・スコレー・ホイットニー准将(1811–1878)
   ローリンダ・コリンズ
の子として生まれた。
 ヘンリーの有名な弟は、投資家の
   ウィリアム・コリンズ・ホイットニー(1841–1904)
で、グロバー・クリーブランド大統領の第1次政権 (1885–1889) で海軍長官を務めた。
 姉のルーシー・コリンズ・「リリー」・ホイットニーは、ニッカーボッカー信託会社の社長となった
   チャールズ・T・バーニー
と結婚した。
 もう一人の姉のスーザン・コリンズ・ホイットニーは
   ヘンリー・F・ディモック
と結婚した。
 ホイットニーはマサチューセッツ州イーストハンプトンのウィリストン神学校で教育を受けた。
 ホイットニーは子供の頃から聴覚障害があった。
 ただ、人柄は感じがよく温厚な人物だったと言われている。
 ホイットニーの家族は、1635年にマサチューセッツ州ウォータータウンに定住したロンドンの
   ジョン・ホイットニー
を含むピューリタンの子孫である。
 母親を通じて、彼は
   ウィリアム・ブラッドフォード( 1590年頃- 1657年)
の子孫であり、彼はプリマス植民地の第2、5、7、9、12代総督、また、メイフラワー誓約の署名者でもあった。
  
 ホイットニーは1856年にコンウェイの銀行の事務員としてビジネスキャリアをスタートした。
 1859年にボストンに行き、相互償還銀行の事務員になった後、1860年から1861年にかけてボストン税関の海軍代理人の事務所の事務員として働いた。
 1861年に南北戦争が勃発すると、ホイットニーはニューヨーク市に行き、海運業に従事した。
 1866年、ホイットニーはボストンに戻り、父が社長を務める
   メトロポリタン蒸気船会社
の代理店に任命された。
 この会社はケープコッド周辺のボストンとニューヨーク間の「外線」で蒸気船を運航していた。
 1878年10月24日に父が亡くなると、ホイットニーはボストンの代理店の地位を維持したままメトロポリタン蒸気船会社の社長として父の後継者に選出された。

 1890年6月、メトロポリタン蒸気船会社は新しい鉄製蒸気船HMホイットニー(2,706トン、288フィート(88メートル))をボストンとニューヨークの間で就航させた。
 この船は、フィラデルフィアのウィリアム・クランプ・アンド・サンズ社によって建造された。
 HMホイットニーは、1892年9月28日にボストン港で蒸気船オスマンに衝突され沈没するまで、メトロポリタン艦隊の旗艦であった。
 沈没で死者は出ず、HMホイットニーは後にサルベージで再浮上し、修理後に就航した。
 1898年にはスクーナー船アイラ・D・スタージスと衝突した。
 1908年11月5日にはハレット岬沖でタグボートと4隻のはしけとの衝突を避けようとしてウォーズ島の東端に乗り上げて沈没した。
 なお、どちらの場合も船は修理したうえ航海を続けた 。
 1906年、チャールズ・W・モースが同社の経営権を取得した。
 1907年1月にコンソリデーテッド・スチームシップ・カンパニーの経営下に入ったが、モースは1907年恐慌で倒産した。1911年、メトロポリタン・スチームシップ・カンパニーとメイン・スチームシップ・カンパニー(ニューヨーク市とメイン州ポートランドを結ぶ運航会社)がイースタン・スチームシップ・カンパニーと合併し
   イースタン・スチームシップ・コーポレーション
が設立された。
 この路線は1914年に破産したが、1917年にイースタン・スチームシップ・ラインとして再出発した。
 なお、イースタンのメトロポリタン線の運行は1941年まで継続された。
 ホイットニーは1909年にメトロポリタン蒸気船会社の取締役を退任した。
 1886年、ホイットニーはボストン地域の5つの路面電車会社を統合して、自ら社長に就任した
   ウェストエンド路面電車会社
を設立した。
 翌年までに同社は馬車による路面電車の路線を多数所有した。
 また、7,816頭の馬と1,480台の鉄道車両を保有するようになった。

 システムが拡大するにつれ、ホイットニーはフランク・スプレイグを訪問した。
 バージニア州リッチモンドのシステムが稼働しているのを目にした後、電気推進システムを導入することを選択した。
 線路の一部はベントレー・ナイト地下送電線の試験に使用された。
 しかし、故障や安全上の懸念(特に1889年に馬のチームが感電死した後)のため放棄された。
 スプレイグ路面電車システムとの運用試験で競合した後
   トムソン・ヒューストン社
がシステム全体の架空電線の導入に選ばれた。
 
 1889年、ホイットニーとウエストエンド・ストリート鉄道会社の主任技師
   フレデリック・スターク・ピアソン
は、ノバスコシア州ハリファックスの
   ピープルズ・ヒート・アンド・ライト・カンパニー
のベンジャミン・フランクリン・ピアソンとともにホイットニー石炭シンジケートを結成した。
 グループは1つの炭鉱を購入し、ケープブレトン島東部のシドニー南部にある他の炭鉱のオプションを取得した。
 ウィリアム・スティーブンス・フィールディング首相と自由党の州政府は、
ホイットニーの蒸気船と路面電車発電機が大量の石炭を消費するため、ホイットニーの石炭ビジネスへの参入を支持した。ホイットニーシンジケートは、前例のない
   固定ロイヤルティ
での99年間のリースを提示された。
 グループはオプションを行使してケープブレトン島東部の既存の瀝青炭鉱のほとんどを取得した。
 ジョン・スチュワート・マクレナンやデビッド・マッキーンなどの地元人物を取り込んだ。
 このプロセスには数ヶ月かかり、ホイットニーは1893年初頭までシドニーでの事業統合の準備が遅れた。
 1893年にピープルズ・ヒート・アンド・ライトが法人化され、ホイットニーが社長、BFピアソンが書記長に就任した。

 1893年2月1日、ドミニオン石炭会社(DOMCO)が設立され、ホイットニーが社長、BF ピアソンが秘書、FS ピアソンが主任技師となった。
 この事業の初期の投資家には、ホイットニーの弟ウィリアム・C・ホイットニー、義理の兄弟ヘンリー・F・ディモックとチャールズ・T・バーニー、そして後にウィリアムの娘ポーリンと結婚したアルメリック・H・パジェットがいた。
 新会社はすぐに数多くの効率化と改善を行い、生産量は10年以内に4倍になった。
 しかし、高くつく失敗もあった。

 そのなかでも顕著だったのは、低価格契約(ホイットニーの会社など)に縛られ、
高価格の大きな市場を逃してしまう傾向だった。
 1901年までに、生産量の約90%がそのような低価格契約に充てられていた。
 同社は大規模な株式公開を行ったが、ホイットニーがアメリカの石炭輸入関税を撤廃、または少なくとも引き下げることができなかったため、株価は暴落した。

 ホイットニーは、1899 年 3 月にカナダと米国の両方から資金援助を受けた
   ドミニオン鉄鋼会社(DISCO)
を設立し、シドニーでの事業を拡大した。
 ホイットニーは、長年のビジネス仲間である FS ピアソン、BF ピアソン、WC ホイットニー、CT バーニー、HF ディモック、AH パジェット、JS マクレナンらとこの新しい事業に加わった。
 連邦政府からの補助金の約束と、ジョージ ヘンリー マレー首相の自由党州政府からの譲歩により、DISCO は 1899 年 6 月に大英帝国最大の一貫製鉄所の建設に着手することができた。
 シドニー港の南側に位置し、ホイットニーによれば世界のどこよりも有利な立地だったこの製鉄所は、1901 年に完成しました。鉄鉱石はニューファンドランド島のベル島で DISCO によって採掘され、シドニーに出荷した。

 イギリス、フランス、ドイツ、アメリカの競合企業は当初懸念を示したが、経営とコスト管理の問題が続いたため、ホイットニーは早期にプロジェクトから撤退した。

 1901年後半、ホイットニーと仲間は、DOMCOの過半数の株式をモントリオールの
   ジェームズ・ロス
に売却し、DISCOの少数株をロスと他のカナダの投資家数社に売却した。
 ホイットニーは1902年にDISCOの社長を辞任し、1903年12月にはDOMCOの取締役を辞任した。
 また1903年には、トロントの
   ジェームズ・H・プラマー
がDISCOの経営権を獲得した。
 1910年にはDOMCOも買収して、ドミニオン・スチール・コーポレーションの傘下に入った。
 ホイットニーは1909年までDISCOの取締役に留まったが、彼の関心はニューイングランドに向けられた。
 
 ボストンに戻ったホイットニーは、照明用ガスと鉄道用コークスの製造と販売を目的とした
   ニューイングランドガスコークス社
を設立した。
 1896年1月、ホイットニーは
   マサチューセッツパイプラインガス社
の設立を発表した。
 この新会社はニューイングランドガスコークス社からガスを購入し、ニューイングランドガスコークス社はDOMCOから原材料を購入することになっていた。
 DOMCOとニューイングランドガスコークス社の間で新しい契約が1897年9月30日に締結された。
 1899年半ばまでにマサチューセッツ州エベレットで新しいガス工場が稼働した。
 この取り決めは、契約が両社の株価上昇を狙ったものだという世間の認識を生んだ。
 1917年6月、J・L・リチャーズがCEOを務めるニューイングランド燃料・輸送会社は、ニューイングランドガス・コークス社のほか、ボストン・タウボート社、フェデラル・コール・コークス社、ニューイングランドコール・コークス社の資産と負債を引き継いだ。

 1904年、ホイットニーはボストン商工会議所の会頭に選出された。
 彼は政治にも関心を持ち、関税改革やカナダとアメリカ合衆国間の相互貿易協定を推進した。
 1905年、ホイットニーは民主党からマサチューセッツ州副知事に立候補した。
 なお、共和党のエベン・S・ドレイパーに1,996票差で敗れ、再集計となった。
 ドレイパーは後を継ぎ、前副知事カーティス・ギルド・ジュニアの下で第40代マサチューセッツ州副知事となった。 [30] 1905年11月、ホイットニーはカナダとの関税相互協定をめぐってセオドア・ルーズベルト大統領と公然と対立した。

 2年後の1907年、ホイットニーは1907年11月5日の総選挙で民主党のマサチューセッツ州知事候補となった。彼の立候補により、マサチューセッツ州民主党委員会の執行委員会議長であったグレンヴィル・マクファーランドは、ホイットニーが知事に民主党候補として指名されたため、その職と州委員会の会員資格を辞任した。
 マクファーランドは、ホイットニーがニューヨーク、ニューヘイブン、ハートフォード鉄道とボストンおよびメイン鉄道の合併を支持したことで、「真の民主党の原則」よりも企業の利益を代表していると感じた。
 ホイットニーは結局、共和党現職のカーティス・ギルド・ジュニアを追い落とす選挙に失敗した。
 11日後、彼はハリー・ペイン・ホイットニーとともに、義理の兄弟
   チャールズ・T・バーニー
の葬儀に家族の代理として参列した。
 バーニーは1907年恐慌で
   ニッカーボッカー信託会社
の破綻後に自殺した。

 1911年、ホイットニーは、マサチューセッツ州のアメリカ合衆国上院議員選挙で
   ヘンリー・キャボット・ロッジ上院議員
の再選を支持した。
 ロッジは共和党員であったが、関税改革に関心があったためホイットニーは、同じ民主党員で、知事に選出された
   ユージン・フォス
がロッジに反対したにもかかわらず、ロッジを支持した。
 
 1878年10月3日、ホイットニーはマサチューセッツ州ブルックライン出身の
   ジョセフ・F・グリーン提督
の娘、マーガレット・フォスター・グリーン(1856年 - 1932年)と結婚した。
 ブルックラインに住み、夫婦には1人の息子と4人の娘がいた。
 ・ルース・ホイットニー
 ・エレノア・ホイットニーはJPガードナーと結婚した。
 ・ローラ・ホイットニー
 ・ジェームズ・S・ホイットニーは1908年にハーバード大学に入学した。
 ・ジョセフィン・ホイットニー(1891年生まれ)は、画家の
   フランク・デュヴェネック
  とエリザベス・ブートの唯一の子供である
    フランク・ブート・デュヴェネック(1886年 - 1985年)
  と結婚した。
 
 ホイットニーはブルックラインに住み、1923年1月25日に84歳で亡くなった。
 弟が楽々と成功したため、ホイットニーは裕福だと思われていた。
 しかし、何年にもわたって投資の失敗で損失を被っていたという。
 ニューヨークタイムズ紙が「億万長者と思われていた」がホイットニーの遺産が検認されたとき、その価値はわずか1,221ドルであることが判明した。

   
posted by manekineco at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝令暮改の日銀総裁の発言で「8月は非常に不安定な月になるだろう」キャリートレード巻き戻しさらに進行へ、長期的な適正水準は1ドル100円も(BNY)

 BNYメロン・キャピタル・マーケッツの市場戦略・インサイツ責任者
   ボブ・サベージ氏
は顧客向けリポートで、投資家はまだ円に対して弱気に過ぎるため、円ショートポジションの解消は続くだろうと指摘した。
 円は1ドル=147円程度の現在の水準では安過ぎで、長期的な適正水準は100円の方に近いとの分析結果を明らかにした。
 「円ショートの痛手は、数カ月ではないまでも今後数週間は続くだろう。さらなるリスク圧縮が続き、8月は非常に不安定な月になるだろう」と続けた。

 サベージ氏は、日米の経済データが乖離する可能性があるため1ドル=130−150円のレンジが日銀の新たな目標レンジだと考えるのは間違いかもしれないと述べた。

 同氏は「現在の環境を考えると、巻き戻しで円が再び適正価格になるのには何カ月もかかるだろう」と指摘し、「そのため、米国の選挙と景気・信用サイクルが、日本と日本自身の経済成長と共に、鍵になるだろう」と分析した。

 JPモルガン・チェースは、キャリートレードの巻き戻しは75%完了したとみており、シティグループは、キャリートレードは危険水域を脱したが、中国の人民元は圧迫されるリスクがあると指摘している。
 
  
posted by manekineco at 05:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雇用主は、労働時間という中間的なレバーを引くことができる

 リージョンズ・ファイナンシャルのチーフエコノミスト
   リチャード・ムーディー氏
は「雇用主は、労働時間という中間的なレバーを引くことができる」と指摘した。
 また、多くの企業は今のところレイオフの実施に消極的だと付け加えた。
 ただし「状況は減速しつつあり、このまま減速が続くと感じ始めれば、ある時点で労働者を解雇し始めるだろう」と述べた。

  
posted by manekineco at 05:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする