2024年08月13日

国債利回りは最終的に経済のファンダメンタルズで決定される

 シティグループのエコノミスト
   余向栄氏
は12日、顧客向けリポートで、「金融リスクに対する人民銀の懸念は妥当だ」とした上で、「長期年限の利回りを押し上げる措置が十分かどうかには、不透明感がある」と指摘した。
 また、「一時的な直接介入もあり得るが、国債利回りは最終的に経済のファンダメンタルズで決定される」と付け加えた。
 
   
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中国当局が極端な手段で国債市場の過熱抑制するジレンマも浮き彫り

 中国の規制当局は9日、世界3位の規模を持つ中国国債市場で中国江西省の地方商業銀行に対し、最近購入した国債の取引決済を行わないよう指示し、
   相場の過熱感
に対応するため、事実上、市場における責務を放棄させる極めて異例の措置に踏み切るなど、あらゆる手段を講じる構えにある。

 中国債市場では、利回りが過去最低水準に沈み、当局は銀行が金利リスクに過度にさらされているとの懸念を深め、過熱感の沈静化に向けて介入措置を相次いで打ち出した。

 中国景気減速の兆しが強まる中、指標となる10年債利回りは今月に入って過去最低の2.12%程度まで低下した後、徐々に2.22%程度へ水準を切り上げており、今のところは当局が望む介入効果は得られている。

 一方で、こうした当局による行き過ぎた介入は、経済のファンダメンタルズから市場を切り離すと同時に、長期的には投資家の信頼感を低下させるリスクがある。
 ここ数年は中国政府が株式や通貨の取引への介入を試みている。
 しかし、こうした介入が市場の混乱を招く結果となっており、国際的な投資家を遠ざけてやぶ蛇状態に陥っている。

 前週に発表されたデータによると、外国人投資家は4−6月(第2四半期)にシャドーバンク等不動産関連の業界の悪化などバブル崩壊リスクが大きい中国から記録的な規模の資金を引き揚げており、中国資産に対する悲観論がどの程度深まっているかを示す材料の一つとなっている。

 過熱する国債市場に対する一連の措置からは中国政府が抱えるジレンマも浮かび上がる。借り入れコストを低く抑えて、低迷する景気を支える必要がある半面、金融の安定を危険にさらすような国債バブルの形成につながるほどの行き過ぎた金利低下を確実に回避することにも配慮している。

 上海では、人民銀の支店が域内の金融機関に対し、債券市場のリスクについて協議するため会合を要請したと、事情に詳しい複数の関係者が明らかにした。

 中国外国為替取引システム(CFETS)のデータによると、最も活発に取引されている10年債の売買高は12日に580億元(約1兆1950億円)と、先週の平均のわずか48%にとどまった。

 中国債相場は
   悲観的な景気見通し
   利下げ観測
を背景に年初から上昇基調を強めてきたが、不動産や株式など魅力的な代替投資先に欠ける上、貯蓄から金融投資への転換も、国債需要に追い風となり、財政刺激策の拡大に向けた国債発行増も買い手の抑制にはつながらなかった。
  
 
ひとこと
 中国のバブル崩壊のリスクを考えれば中国の国債を買うことはチャレンジとも言える。
 
   
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将来100%買収される可能性に関し疑問が生じる

 カナダ・トロントに本社を置く
   ノバスコシア銀行
は北米市場に重点を置く戦略の一環として、昨年の地銀危機で特に打撃を受けた米地銀キーコープの少数株式を約28億ドル(約4100億円)で取得することで同行と合意した。  

 ブルームバーグ・インテリジェンス
   ハーマン・チャン
   セルジオ・フェレイラ
の両アナリストはキーコープについて、今回の合意で「将来100%買収される可能性に関し疑問が生じる」とリポートで指摘した。

  
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米株市場に押し目買いの短い好機が到来

 ゴールドマン・サックス・グループのグローバルマーケッツ部門マネジングディレクター兼タクティカルスペシャリスト
   スコット・ルブナー氏
は12日のリポートで米株式市場には8月末に押し目買いの短い好機が訪れると予想し、システマティックファンドからの売り圧力が和らぎ、企業の自社株買いが活発になるためだと説明した。

 「8月はこれが最後の弱気コールだ。8月としては最悪の株式需給ミスマッチは終わりつつある」と指摘したうえ、株式に対しては8月30日に戦術的強気に転じると記した。

 同氏は6月下旬の時点で、米株のエクスポージャーを減らすよう助言し、7月4日の独立記念後に起こり得る「メルトアップ最終段階」が同月17日まで続く可能性を指摘していた。
 S&P500種株価指数は実際、同月16日に過去最高値で引けた後、そこからは約6%下げている。

 ゴールドマンによれば、市場のシグナルやボラティリティーパターンに従うシステマティックファンドは、この1カ月で
   1090億ドル(約16兆1100億円)相当
の世界株式先物を手放し、次の投資資金を既に確保している。

 売り圧力は向こう7日間続くだろうが、「市場テクニカルの最悪期は過ぎたことを示す十分な証拠とポジショニングの後退が見られる」と続けた。

 ポジショニングは「非常にクリーンな状態になって」、9月の上昇局円をスタートできるだろうと述べ、9月前半は「押し目で買いを入れる」考えで、「危険が去ったと判断すれば追って知らせる」と続けた。

 株価反発を予想するもう一つの理由として、「8−9月は企業の自社株買いが歴史的に強くなり」、11−12月に次いで活発になることを挙げた。

 9月はある時点を過ぎると見通しが悪化すると警告した。
 なお、同月後半は株式市場にとって年間最悪の2週間だからだという。

 そこから先の市場は第4四半期に入るまで、そして11月の選挙結果が出るまで「明確なトレンドライン上昇はないだろう」と語った。
 
     
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特に主要10通貨において、円の売り浴びせは買いの好機

 TDセキュリティーズ
   マーク・マコーミック氏
は顧客向けリポートで為替市場の動きについて「われわれは、特に主要10通貨において、円の売り浴びせは買いの好機と捉えている」と指摘した。

   
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投機的トレーダーが円安方向に賭ける投資ポジションを急激に縮小した様子から原油相場が下落したが... 

 米商品先物取引委員会(CFTC)が公表した最新データでは、投機的トレーダーが円安方向に賭ける投資ポジションを急激に縮小した様子が明らかになった。
 ニューヨーク原油相場は昨年10月以来の大幅高。7月にテヘランでイスラム組織ハマスのリーダーが暗殺されたことを受けたイランの対応が警戒されている。

 ウェスト・テキサス・インターミディエート(WTI)原油先物は急伸し、1バレル当たり80ドル台に乗せた。
 イラン政府は11日、イスラエルを懲罰する決意をあらためて表明している。
 米軍は中東で海・空軍の展開を強化した。
 WTI先物は200日移動平均を上回り、これがさらに買いを呼び込んだ可能性がある。

 この日の相場上昇は、資産運用各社のポジショニングに変化が起きた可能性を示唆している。先週のデータによれば、資産運用各社によるICEブレント先物の買い越しポジションは、2011年にデータ公表が始まって以来の最小だった。米国のガソリンとディーゼル油の買い越しポジションも数年ぶりの少なさだった。
 トレーダーらは今週の原油需給リポートに注目している。
 石油輸出国機構(OPEC)は12日、今年と来年の世界需要予測を引き下げた。
 国際エネルギー機関(IEA)は13日に月間見通しを発表するが、その翌日には米CPIが発表される。
 
 ニューヨーク商業取引所(NYMEX)のWTI先物9月限は、
   1バレル=80.06ドル
と前営業日比3.22ドル(4.2%)高く終了した。
 ロンドンICEの北海ブレント10月限は2.64ドル(3.3%)上げて82.30ドルで引けた。

 
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ニューヨーク金相場は上昇し、過去最高値に接近した。

 トレーダーらは最新の地政学的情勢を見極めつつ、一連の米経済統計が金利の道筋を決定付けるかどうかに注目している。

 13日に発表される米生産者物価指数(PPI)と翌日の米CPIも、米国のインフレ動向を明確にする可能性があるとして、注目されている。

 7月のCPIは前月比で物価上昇率の上振れを示しつつ、前年同月比では引き続き緩やかな伸びにとどまると予想されている。
 最近続いた物価圧力の緩和を受けて、借り入れコストを引き下げ始めながらも労働市場への目配りを強化することが可能だと、政策当局者は自信を強めた。
 なお、労働市場では熱気の冷え込みが相次いで示されている。

 金スポット価格は一時1.6%余り上昇し、1オンス当たり2471.00ドルを付けた。
 市場では引き続き、先月テヘランで起きたイスラム組織ハマス指導者暗殺に対するイランの行動が警戒されている。

 金相場は年初から20%近く上昇。利下げ期待に加えて、中央銀行による購入や中国での強い消費者需要に支えられている。
 中東での緊張激化も逃避先としての金の妙味を高めている。

 商品先物取引委員会(CFTC)がまとめた週間データによれば、資産運用会社による金買い越し額は5週間ぶりの低水準となった。

 ニューヨーク商品取引所(COMEX)の金先物12月限は、
   1オンス=2504.00ドル
と前営業日比30.60ドル(1.2%)高で引けた。
  

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ゼネラルモーターズ(General Motors Company  GM) 米国の多国籍自動車製造会社

ゼネラルモーターズ(General Motors Company  GM)
 アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本社を置く米国の多国籍自動車製造会社
 同社は、シボレー、GMC、キャデラック、ビュイックの4つの自動車ブランドを所有し、製造している。
 売上高では、2022年に米国最大の自動車メーカーであり、 2008年にトヨタにトップの座を奪われるまで77年間世界最大の自動車メーカーであった。

 生産量 6,186,000台(販売台数、2023年)
 収益 1,718億米ドル(2023年)
 営業利益 92億9,800万米ドル(2023年)
 純利益 98.4億米ドル(2023年)
 総資産 2,731億米ドル(2023年)
 総資本 681.9億米ドル(2023年)
 就業者数 163,000(2023年)
 
 ゼネラルモーターズは8カ国で製造工場を運営し、4つの中核ブランドに加えて、GMはSAIC-GM-Wuling Automobileを通じて中国ブランドのBaojunとWulingにも出資している。
 さらに、配送車両メーカーのBrightDrop 、 米国政府と軍隊向けに軍用車両を生産する同名の防衛車両部門、車両の安全性、セキュリティ、および情報サービスプロバイダーのOnStar、自動車部品会社ACDelco、同名の金融融資サービス、および自動運転車企業Cruise LLCの過半数の所有権を所有している。

 1908年9月16日に当時最大の馬車販売業者
   ウィリアム・C・デュラント
によって設立されたビュイックの持株会社として始まった。
 20世紀前半には、同社は買収を通じて自動車業界の巨大企業に成長しました。
 後半に入ると、同社は革新と消費者への新製品の提供を追求し、NASAと協力して最初の電気自動車を開発した。
 現在の企業は、ゼネラルモーターズの再編後の2009年に設立された。

 2024年現在、ゼネラルモーターズは、フォーチュン500で全米企業の中で総収益25位、フォーチュン・グローバル500で50位にランクされている。
 2023年には、同社はフォーブス・グローバル2000で70位にランクされた。
 2021年、GMは2040年までにカーボンニュートラルを達成する計画の一環として、2035年までに内燃機関を使用する車両の生産を終了する意向を発表した。

 1900年までに、ウィリアム・C・デュラントのミシガン州フリントの
   デュラント・ドート・キャリッジ・カンパニー
は、米国最大の馬車製造会社となった。
 当時のデュラントは自動車を嫌っていたが、フリントの同僚で
   フリント・ワゴン・ワークス
の所有者である
   ジェームズ・H・ホワイティング
が1904年にビュイック・モーター・カンパニーをデュラントに売却した。
 デュラントは1908年にゼネラル・エレクトリックの命名規則を借用して持ち株会社としてゼ
   ネラル・モーターズ・カンパニー
を設立した。
 GMの最初の買収はデュラントが既に所有していたビュイックであり、その後1908年11月12日に
   オールズモーターワークス
を買収した。
 デュラントの下で、GMは1909年にキャデラック、エルモア、ウェルチ、カーターカー、オークランド(ポンティアックの前身)、ミシガン州ポンティアックのラピッドモータービークルカンパニー、ミシガン州デトロイトのリライアンスモーターカーカンパニー( GMCの前身)を買収した。

 デュラントは取締役会の承認を得て
   フォード・モーター・カンパニー
の買収も試みたが、さらに200万ドルが必要だった。
 なお、デュラントはGMに対して過剰なレバレッジをかけた買収を行ったため、GMの事業継続のために融資をしていた銀行家の命令で1910年に取締役会から解任された。
 銀行家の行動は、 1890年の
   シャーマン反トラスト法
の施行に先立つ1910年から1911年にかけての恐慌の影響を部分的に受けていたためだ。
 1911年、デイトン・エンジニアリング・ラボラトリーズ・カンパニー(DELCO)の
   チャールズ・F・ケタリング
   ヘンリー・M・リーランド
は、アメリカ初の電動スターターを発明し、特許を取得した。
 1911年11月、デュラントはレーシングカー・ドライバーの
   ルイス・シボレー
と共同でシボレーを設立した。
 シボレーはデュラントとの意見の相違により1915年に同社を去った。
  
 GMは1916年にデトロイトでゼネラルモーターズコーポレーションとして再法人化され、新規株式公開によって公開会社となった。
 1917年までにシボレーは十分な成功を収め
   サミュエル・マクラフリン
および総合化学メーカーの経営者
   ピエール・S・デュポン
の支援を受けたデュラントはGMの経営権を再び取得した。
 同年、GMはサムソントラクターを買収した。

 シボレーモーターカンパニーは1918年5月2日にGMに統合され、同年GMはデュラントが設立し
   アルフレッド・P・スローン
が率いる部品供給業者
   ユナイテッドモーターズ
を4,500万ドルで買収した。
 また、RSマクラフリンが設立した
   マクラフリンモーターカーカンパニー
はゼネラルモーターズオブカナダリミテッドとなった。

 1919年、GMはデュラントが一部所有する
   ガーディアンフリジレーターカンパニー
を買収し、社名を
   フリジデール
に変更した。
 また、1919年には、自動車の顧客に融資を行う
   ゼネラルモーターズ・アクセプタンス・コーポレーション(GMAC)
を設立した。

 1920年、デュポンは再びデュラントを解任し、アルフレッド・P・スローンを後任に据えた。
 GMがフォード・モーターと激しく競争していた当時、スローンは毎年モデルチェンジを行い、前年のモデルを「時代遅れ」にし、中古車市場を創出した。
 また、今日の自動車会社が採用している価格戦略を実施した。
 この価格戦略では、シボレー、ポンティアック、オールズモビル、ビュイック、キャデラックがそれぞれ最も安いものから最も高いものの順に価格設定された。

 1921年、GMのエンジニアであった
   トーマス・ミッドリー・ジュニア
は、ノック防止剤としてのテトラエチル鉛(有鉛ガソリン)を発見した。
 GMはエタノールは特許を取得できなかったため、この化合物の特許を取得した。
 これにより、高圧縮エンジンが開発され、出力と効率が向上した。

 その後、ガソリンに含まれる鉛が人間を含むさまざまな生物に有害であることが一般の人々に認識された。
 証拠によると、企業幹部は最初からテトラエチル鉛の健康への影響を理解していた。
  GMのエンジニアとして、ミッドリーはクロロフルオロカーボンも開発した。
 なお、これは気候変動の原因となるため、現在では禁止されている。

 GM社長アルフレッド・P・スローン・ジュニアの奨励により、GMは1925年に
   ボクスホール・モーターズ
を250万ドルで買収した。
 同社は同年イエローキャブ・マニュファクチャリング・カンパニーの株式も取得した。
 同社の社長ジョン・D・ハーツがGMの取締役会に加わり、1943年に残りの株式を買収した。
 
 1926年、同社はポンティアックブランドを導入し、従業員に生命保険を提供するためのゼネラルモーターズグループ保険プログラムを設立した。
 翌年、ハーレー・アールがデザインした
   キャデラック ・ラサール
の1927年モデルが成功した後、スローンはGMに「アート&カラーセクション」を創設した。
 アールをその初代ディレクターに任命した。

 アールは、アメリカの大手企業で指導的立場に任命された最初のデザインエグゼクティブであった。
 アールは、今日でも実践されている自動車デザインのシステムを生み出した。
 24歳のとき、ビル・ミッチェルはアールによってGMのデザインチームに採用された。
 その後、キャデラックのチーフデザイナーに任命された。

  アールが1958年12月に引退した後、ミッチェルはGMの自動車デザインを引き継いだ。 
 また、1926年に同社は自動車ボディのサプライヤーであるフィッシャーボディを買収した。

 GMはアリソン・エンジン・カンパニーを買収し、1929年に1,000馬力の液冷航空機エンジンの開発を開始した。
 同年、GMは当時ヨーロッパで37.5%の市場シェアを持っていた
   オペル
の80%を2,600万ドルで買収し、残りの20%は1931年に買収した。

 1920年代後半、チャールズ・ケタリングは自動車に使用できる軽量2ストロークディーゼルエンジンの開発プログラムに着手した。
 その後まもなく、GMはエレクトロ・モーティブ社とウィントン・エンジン社を買収した。
 1941年にはEMCの領域を機関車エンジン製造にまで拡大した。

 1932年、GMはパッカード・エレクトリックを買収した。
 翌年、GMはノースアメリカン・アビエーションの経営権を取得し、ゼネラル・アビエーション・マニュファクチャリング・コーポレーションと合併した。

 GMの労働者は1935年に全米自動車 労働組合の結成に参加し、1936年に全米自動車労働組合はフリント座り込みストライキを組織した。
 このストライキは当初ミシガン州フリントの2つの主要工場を閉鎖し、後にウィスコンシン州ジェーンズビルやインディアナ州フォートウェインを含む6つの工場に広がった。
 フリントでは、警察がストライキ参加者を逮捕するために工場に立ち入ろうとし、暴動に発展した。
 しかし、他の都市では工場は平和的に閉鎖された。
 ストライキは1937年2月11日に解決し、GMは全米自動車労働組合を労働者の独占交渉代表として認め、労働者に5%の昇給と食堂での発言許可を与えた。

 GMのウォルター・E・ジョミニーとAL・ボーゲホールドは1937年に炭素鋼の焼入れ性を検査するジョミニー終点焼入れ試験を発明した。
 これは熱処理における画期的な技術であり、現在でもASTM A255として使用されている。
 GMは翌年デトロイト・ディーゼルを設立した。

 1939年、同社はモーターズ・インシュアランス・コーポレーションを設立し、自動車保険市場に参入した。
 同年、GMは1940年型オールズモビル向けに、手頃な価格で成功した初のオートマチックトランスミッションであるハイドラマティックを導入した。 

 第二次世界大戦中、GMは連合国向けに大量の兵器、車両、航空機を生産した。
 1940年、GMのウィリアム・S・クヌーセンはフランクリン・ルーズベルト大統領 の下で米国の戦時生産責任者を務め、1942年までにGMの全生産は戦争支援向けとなった。
 GMのボクスホール・モーターズは連合国向けにチャーチル戦車シリーズを製造し、北アフリカ作戦で重要な役割を果たした。
 しかし、ドイツに拠点を置くオペル部門はドイツ国防軍に車両を供給していた。

 政治的には、当時GMのトップだったスローンは、労働組合と公共交通機関を強化した
   ニューディール政策
に熱心に反対していた。
 もともと、スローンはアドルフ・ヒトラーを尊敬し、支持していた。
 ナチスの軍備総監アルベルト・シュペーアは1977年に、ゼネラルモーターズが合成燃料技術を提供していなかったらヒトラーは「ポーランド侵攻など考えなかっただろう」と語ったとされる。
 ゼネラルモーターズは戦争中に米軍の爆撃を受けたため、米国政府から3200万ドルの補償を受けた。

 1953年1月28日付けで、当時GM社長であった
   チャールズ・アーウィン・ウィルソン
がドワイト・D・アイゼンハワーによってアメリカ合衆国国防長官に任命された。

 1953年12月、GMはダンプトラック、ローダー、ホイールトラクタースクレーパーを含む土木用重機メーカー
   ユークリッドトラック
を買収し、後にテレックスブランドを生み出した。
 
 アルフレッド・P・スローンが会長を退任し、1956年4月にアルバート・ブラッドリーが後任となった。
 1962年、GMはオールズモビル・カトラス・ターボ・ジェットファイアという世界初のターボチャージャー付き量産車を発表した。
 2年後、同社は1964年のニューヨーク万国博覧会で「マーク・オブ・エクセレンス」のロゴと商標を発表した。
 同社は2021年までこのマークを主な企業識別子として使用した。

 GMは1966年に、史上初の水素燃料電池車であるエレクトロバンを発売した。
 燃料電池は1800年代初頭から存在していたが、ユニオンカーバイド社が供給した燃料電池を「数百万ドル」の予算で車両の車輪に動力として初めて使用したのがゼネラルモーターズだった。 

 1960年代、GMはV6エンジンの初期の提唱者であったが、マッスルカーの人気が高まるにつれてすぐに興味を失った。
 GMは業界全体で関心を集めた灯油を動力とするガスタービン車両を実証した。
 1973年の石油危機により代替エンジン構成を断念した。

 GMのデルコ防衛エレクトロニクス部門はボーイングと提携し、 1971年に月面を横断した
   月面車(Lonar Roving Vehicle )
を設計した。
 翌年、GMはトロネードとエルドラドの2つのモデル向けに初の後輪アンチロックブレーキシステムを製造した。
 1973年、オールズモビル・トロネードは助手席エアバッグを搭載した最初の市販車となった。

 トーマス・マーフィーは1974年11月にリチャード・C・ガーステンバーグの後任として同社のCEOに就任した。
 GMは1975年モデルに最初の
   触媒コンバーター
を搭載した。
 GMは1979年にフリジデアを売却した。フリジデアの年間売上高は4億5000万ドルから5億ドルであったが、赤字であった。

 GMのロバート・リーは1984年に急速凝固法で製造されたネオジム磁石を発明した。
 この磁石はコンピュータのハードディスクなどの製品によく使われている。
 同年、GMはロス・ペローから
   エレクトロニック・データ・システムズ
を25億ドルで買収した。
 これはCEOのロジャー・スミスによる、全世界での年間収益の少なくとも10%を自動車以外の分野から得るという戦略の一環であった。
 GMはまた、EDSに簿記を任せ、工場のコンピュータ化を支援し、GMのコンピュータシステムを統合するつもりだった。
 この取引によりロス・ペローはGMの筆頭株主となった。
 しかし、ロジャー・スミスとの意見の相違により、GMは1986年にロス・ペローが保有する全株式を7億5000万ドルで買収した。

 GMACは多角化計画の継続として、GMACモーゲージを設立し、1985年にコロニアルモーゲージとノーウェストモーゲージのサービス部門を買収した。
 この買収には110億ドルの住宅ローンポートフォリオが含まれていた。
 同年、GMはヒューズ・エアクラフト・カンパニーを現金と株式で50億ドルで買収し、デルコ・エレクトロニクスに合併した。
 翌年、GMは英国の高性能スポーツカーメーカーである
   ロータス・カーズ
の59.7%を買収した。

 1987年、 GMはエアロバイロメント社と共同でサンレイサーを製作し、第1回ワールドソーラーチャレンジで優勝し、先進技術のショーケースとなった。
 サンレイサーの技術の多くは、インパクトプロトタイプ電気自動車(エアロバイロメント社製)に採用された。
 これは、ゼネラルモーターズEV1の前身となった。

 1988年にGMはエアロバイロンメントの株式15%を取得した。
 1989年、GMはサーブ・オートモービルの自動車事業の半分を6億ドルで買収した。
 
 1990年8月、ロバート・ステンペルがロジャー・スミスの後任として同社のCEOに就任した。
 GMは1990年代初頭の不況により生産量を大幅に削減し、その年に損失を被った。

 1990年、GMはロサンゼルスオートショーでバッテリー電気自動車のゼネラルモーターズEV1(インパクト)コンセプトを発表した。
 これは30年以上ぶりに米国で販売されたゼロエミッション車であった。
 インパクトは1996年モデルのEV1として生産され、カリフォルニア州とアリゾナ州の特定のディーラーからのリースでのみ入手可能であった。
 1999年から2002年にかけて、GMは車両の生産を中止し、リースを更新しなくなり、多くの人々を失望させた。
 EV1はすべて最終的にゼネラルモーターズに返却され、電動パワートレインを無効にして博物館に寄贈された約40台を除いてすべて破壊された。

 1992年11月、ジョン・F・スミス・ジュニアが同社のCEOに就任した。
 1993年、GMはロータス・カーズをブガッティに売却した。
 1996年、GMは自動車産業の基本に立ち返り、エレクトロニック・データ・システムズの分社化を完了した。

 1997年、GMはヒューズ・エアクラフト社の軍事事業をレイセオン社に95億ドルの株式と負債の引き受けで売却した。
 2000年2月、リック・ワゴナーがスミスの後任としてCEOに任命された。
 翌月、GMはフィアットの株式20%を取得するために、自社の普通株の5.1%、24億ドル相当を譲渡した。

 2000年12月、GMはオールズモビルの段階的な廃止を開始すると発表した。
 このブランドは、100周年を迎えた最初のアメリカ車ブランドとなった7年後の2004年に廃止された。
 ゼネラルモーターズの電気自動車EV1は1996年にカリフォルニアで発売された。
 
 2004年5月、GMは初のフルサイズピックアップトラック ハイブリッド車、1/2トンのシボレー シルバラード/ GMC シエラトラックを納入した。
 これらのマイルドハイブリッドは、 GMの後継機のように推進力として電気エネルギーを使用しなかった。
 その後、同社はダイムラークライスラーおよびBMWと共同開発した別のハイブリッド技術を、アリソントランスミッションが製造した公共バス用のディーゼル電気ハイブリッドパワートレインで発表した。
 ディーゼルハイブリッド市場をターゲットにし続け、オペル アストラ ディーゼルエンジン ハイブリッド コンセプト車が2005年1月に発表された。
 その年の後半、GMはエレクトロ・モーティブ ディーゼル機関車部門をプライベートエクイティファームの バークシャー パートナーズとグリーンブライアー エクイティ グループに売却した。

 GMは2005年にフィアットとの提携を断つために20億ドルを支払い、紛争の激化を理由に同社との提携を断った。
 GMは2005年半ばから北米で生産・販売されるすべての新車に「マーク・オブ・エクセレンス」のエンブレムを付け始めた。
 しかし、2009年の再編後、同社は4つの中核部門に重点を置くとGMのロゴが目立たなくなるとして、ロゴを付けなくなった。

 2005年、エドワード・T・ウェルバーンはGMグローバルデザイン部門の新設された副社長に昇進し、世界的な自動車デザイン組織を率いる初のアフリカ系アメリカ人となり、当時の米国自動車業界で最高位のアフリカ系アメリカ人となった。
 2016年7月1日、ウェルバーンは44年間勤めたゼネラルモーターズを退職した。
 後任にはマイケル・シムコーが就任した。

 2006年、GMは、車がE85 エタノール燃料を使用して運転できることをドライバーに思い出させるために、明るい黄色の燃料キャップを車両に導入した。
 また、同年、別のハイブリッド車であるサターン・ヴュー・グリーン・ラインも導入した。
 2008年、ゼネラルモーターズは、製造工程で廃棄物をリサイクルまたは再利用することで、製造工場の半分を埋め立て廃棄物ゼロにすることを約束した。
 GMは環境に配慮した開発を続け、シボレー・タホ、GMCユーコン、キャデラック・エスカレード、ピックアップトラックに2モードハイブリッドシステムの提供を開始した。

 2008年後半、世界最大の屋上太陽光発電設備がGMのサラゴサ製造工場に設置された。
 サラゴサの太陽光発電設備は、工場の屋根面積が約2,000,000平方フィート(190,000平方メートル)あり、約85,000枚のソーラーパネルが設置されている。
 この設備は、GMから屋上エリアをリースしているヴェオリア・エンバイロメントとクレアボヤント・エナジーによって建設、所有、運営されている。
 
 2009年3月、同社は174億ドルの救済を受けたものの、業績回復が不十分だったため
   バラク・オバマ大統領
はCEOのリック・ワゴナーの辞任を強制した。
 ゼネラルモーターズは、2009年6月8日に政府支援による連邦破産法第11章に基づく再建を申請した。
 2009年7月10日、元のゼネラルモーターズは、商標「ゼネラルモーターズ」を含む資産といくつかの子会社をまったく新しい会社に売却した。
 負債は元のGMに残され、モーターズ・リクイデーション・カンパニーと改名され、多くの負債から解放され、新しいGMが誕生した。

 不良資産救済プログラムを通じて、米国財務省はゼネラルモーターズに495億ドルを投資し、2013年12月9日に株式を売却した際に390億ドルを回収した。
 その結果103億ドルの損失となった。
 財務省は、GMの旧金融会社GMAC(現アライファイナンシャル)にさらに172億ドルを投資した。
 アライの株式は2014年12月18日に196億ドルで売却され、政府は配当金を含めて24億ドルの利益を得た。
 自動車研究センターの調査によると、GMの救済により120万人の雇用が確保され、349億ドルの税収が維持された。]
 なお、ゼネラルモーターズ・カナダはゼネラルモーターズの第11章破産の対象ではなかった。
  
 2009年6月、オバマ大統領の自動車産業に関する大統領タスクフォースの主任顧問
   スティーブン・ラトナー
の要請により、AT&Tの再建を主導した
   エドワード・ウィテカー・ジュニア
がゼネラルモーターズの会長に任命された。
 2009年7月、40日間の破産保護の後、同社は政府支援のゼネラルモーターズチャプター11再建から脱却した。

 GMは救済協定で義務付けられている通り、2009年6月に最も業績の悪いブランドであるハマー、サーブ、サターン、ポンティアックの売却プロセスを開始した。
 2009年10月、ハマーブランドを中国の四川騰中重工機械有限公司[と民間投資家グループに売却する契約が成立した。
 しかし、3ヵ月後に破談となり、GMは新たな買収先を探すことになった。
 アメリカの企業レイザーテクノロジーズが他の数社とともに同社買収に関心を示したが、提案された買収はいずれも実現せず、2010年4月、GMは正式にハマーブランドを廃止すると発表した。
 同様に、GMのサターン部門売却の取り組みも早期に買収先が見つかった。
 2009年6月、GMはサターンブランドをペンスキーオートモーティブグループに売却すると発表したが、この取引は失敗に終わり、GMは2010年10月にこのブランドの廃止を宣言した。
 GMは救済協定の一環として、業績不振のポンティアックブランドを手放すことに同意した。
 しかし、同社はこのブランドを他社に売却しないことを明確に選択した。
 最後のポンティアックは2010年1月に製造された。
  
 2010年、GMはシボレー ボルトを拡張航続距離電気自動車(EREV)、ガソリンで動くバックアップ発電機付き電気自動車、またはシリーズプラグインハイブリッドとして発表した。
 GMは2010年12月に最初のボルトを納品した。
 シボレーボルトは、ガソリンで動くバックアップ発電機付きプラグインハイブリッド電気自動車(航続距離延長電気自動車)である。

 2014年1月15日、メアリー・バーラがダニエル・アッカーソンの後任として最高経営責任者に任命された。バーラはGMの取締役にも就任した。
 その、わずか3週間後、同社は2014年のゼネラルモーターズのリコールを発表した。
 これはイグニッションスイッチの欠陥が原因で、少なくとも124人の死者を出した。
 犠牲者の遺族との和解金は、同社に15億ドルの損害を与えたと推定されている。 
 2021年1月8日、GMは「EVerybody in」というキャッチフレーズとともに新しいロゴを導入した。 
 GMは2021年1月のコンシューマー・エレクトロニクス・ショーで、全電気商用車のブランドであるBrightDropを発表した。

 GMは2024年1月、バッテリー電気自動車の供給と需要のバランスをとることを目指しながら、プラグインハイブリッド電気自動車(PHEV)を再び製造すると発表した。 
 GMは毎年、慈善活動への貢献を詳述した社会影響報告書を発行しており、2020年には米国を拠点とする357の非営利団体に約3,500万ドルの資金を提供した。
 このほか、非営利団体に980万ドル以上の現物資産(主に車両の寄付)を提供した。 

   
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徐々に円高が進むと予想しており、ヘッジなしでのポジション保有を勧める

 モルガン・スタンレー・ウェルス・マネジメント
   リサ・シャレット氏
は12日付の顧客向けリポートで、「日本は特に魅力的だと考えている」と指摘し、「徐々に円高が進むと予想しており、ヘッジなしでのポジション保有を勧める」と続けた。

   
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神経質なセンチメントは続く可能性

 UBSグローバル・ウェルス・マネジメント
   ジェーソン・ドラホ氏
は顧客向けリポートで株式市場の動きについて、「経済がリセッションに向かっていないという証拠が増えたり、金融当局が必要に応じて積極的な行動を起こすとのシグナルを発するまで、神経質なセンチメントは続く可能性が高い」と分析した。

   
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米軍がガザ停戦協議に先立ちイスラエル防衛へ増援として中東に空母を急行

 米国はイランやレバノンの親イラン民兵組織ヒズボラによるイスラエルへの大規模攻撃を阻止するため、中東で海・空軍の展開を強化した。
 今週はパレスチナ自治区ガザの停戦交渉再開が予定されている。

 オースティン米国防長官は戦闘機「F35C」を搭載した原子力空母「エーブラハム・リンカーン」を中心とする空母打撃群の同地域到着を早めるよう指示した。
 原子力潜水艦「ジョージア」も派遣した。

 11日に行われたイスラエルのガラント国防相との電話会談の内容を米国防総省が明らかにした。
  
 これらはイスラエルの防衛力を強化する動きで、イランを抑止する可能性がある。
 ほぼ2週間前にヒズボラの司令官がレバノンのベイルートで、イスラム組織ハマスの指導者がイランのテヘランで相次ぎイスラエル諜報機関が関与したとみなされる暗殺が実行されたことに対し、イランとヒズボラは報復する意向を示している。

 イランのバゲリ外相代行は、とりわけハマスの政治指導者イスマイル・ハニヤ氏の殺害を巡り、イスラエルを罰する決意を改めて表明した。
 米国は大統領選挙を3カ月後に控え、対立激化を回避したい考えだ。
 なお、イスラエルはハニヤ氏の死について、これまで責任を肯定も否定もしていない。

 米国とカタール、エジプトは先週、新たなガザ停戦交渉を15日に開くことを呼び掛けた。
 10カ月余り前に始まった戦争を巡り、イスラエルとハマスの間で長らく膠着状態にある交渉の打開を目指す。
 ハマスは従来の計画実施を交渉の中心に据えるべきだと主張し、今回の提案に反発している。
   
  
ひとこと
 ネタに逢ふ政権継続の鍵である戦闘継続が止まる停戦交渉はイスラエル政権にとっては脅威でしかないだろう。イスラエル国内において繰り広げられている汚職まみれのネタニアフヘの抗議活動が再燃しており、あらゆる工作を使って戦闘を継続させる目論見が行われている状況だ。
 
  
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米国債券市場では米国債が上昇した。

 企業による社債発行もあったが、イスラエルがイランによる大規模攻撃に備えているとの報道を受けて
   地政学的緊張
が高まる中、リスクオフのセンチメントが広がり米国債は買われた。
 また、ウクライナのゼレンスキー大統領は、同国軍が広範囲にわたるロシア領土を制圧したことを初めて公に認めた。


posted by manekineco at 07:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゼレンスキー大統領が公にウクライナ軍によるロシア越境攻撃を認めた。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、ウクライナ軍が広範囲にわたるロシア領土を制圧したことを初めて公に認めた。
 ウクライナ軍のシルスキー総司令官によれば、制圧した領土は約1000平方キロメートルに及ぶ。

 ゼレンスキー氏は、12日の軍幹部らとの会合後にテレグラムに声明を投稿し、「クルスク州での作戦」に言及した。
 同作戦は1週間前に開始されており、ゼレンスキー氏はこれまで表立ってロシアへの越境攻撃については認めていなかった。

 シルスキー氏はテレグラムに動画を投稿し、作戦は続いており、状況は引き続き「われわれのの統制下にある」と述べた。
  
 ロシア西部クルスク州の
   スミルノフ知事代行
は12日、プーチン氏やロシア安全保障当局幹部らとのテレビ会議で、12万人以上が既に自宅を離れ、さらに6万人程度が避難を待っている状況だと説明した。
 また、ウクライナ軍はロシア領内に少なくとも12キロメートル侵入し、国境地帯を幅40キロにわたって支配しているが、ウクライナの部隊がどこにいるか「明確には理解していない」と続けた。
 スミルノフ知事代行はウクライナ軍が州内28の集落を制圧したことで、人口の6分の1が避難を余儀なくされていると報告した。

 スミルノフ氏からのウクライナによる越境攻撃の規模に関する報告を受けた後、プーチン氏はスミルノフ氏に対し「住民の支援」に集中し、戦闘地域の状況把握は軍に任せるよう伝えた。
 会議の模様を伝える放送は、その直後に終了したという。

 プーチン氏は、ロシア国防省の主な任務は「われわれの領土から敵を追い出し、国境警備隊と共に国境を確実に守ることだ」と述べた。

 プーチン氏はまたクルスク州に隣接するブリャンスク州の知事に対し、現在事態が落ち着いていたとしても、「あすも同じ状況が続くとは限らない」と述べ、ウクライナ軍との戦闘がロシア国内で拡大することもあり得るとの認識を示した。

 ウクライナはロシア国内の政治状況を不安定化させようと攻撃を継続するだろうと、プーチン氏は指摘した。
 ウクライナ政府は同国東部でのロシアの攻撃を阻止しようとしており、「将来における交渉での立場を有利にしようと取り組んでいる」と述べた。
  
 
ひとこと
 平和交渉を始めるためには、ウクライナへの軍事侵攻したロシアが、ウクライナ軍がロシア領を支配下に置かない限り、無理難題を条件に持ち出すため、ウクライナがテーブルに付くことなどありえないのは常識であり、ウクライナ軍がロシア領内に軍事侵攻したことで、停戦の話し合いの下地が出来つつあるということだ。
 戦争拡大の懸念もあるが、ロシア領内にウクライナ軍が攻め込んだことにより、プーチンとしても戦争拡大するか、停戦に向けた取り組みを進めるかの判断が必要になったということになる。
 戦闘地域でのロシア軍の将兵の消耗により、追加して穴を埋める兵士が確保できるかどうかの問題もあり、朝鮮戦争時に中国が投入した義勇兵名目と同様に、ロシアが北朝鮮の兵士を義勇兵として投入するかどうかが注目される。
 ただ、旧ソ連時代にアムール川流域の鮮卑族などの勢力を削ぐために中央アジアに強制移住させ民族浄化を行ったスターリンらの目論見のタガが外れる可能性もあり、プーチンが決断するかどうかも注目だろう。
    
   
posted by manekineco at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする