2024年09月23日

中国が主要短期金利引き下げ、刺激策期待が高まる当局者の会見も計画

 中国人民銀行(中央銀行)は23日、人民銀の
   潘功勝総裁
が24日に、国家金融監督管理総局(NFRA)の
   李雲沢局長
中国証券監督管理委員会(証監会)の
   呉清主席
と共に、経済発展のための金融支援に関する記者会見を行う。短期政策金利の一つを引き下げたほか、主要な金融規制当局のトップ3人が会見で経済について説明する計画を公表した。
 これを受け、当局が成長回復に向けた取り組みを強化する準備を進めているとの観測が高まっている。
  
 人民銀はこの日、7月の利下げに続き、14日物リバースレポ金利を1.85%と、従来の1.95%から引き下げた。

 こうした動きが相まって、人民銀がさらなる利下げを行うとの観測が高まっている。
 米金融当局は先週ついに利下げを開始。人民銀も最近、追加措置を準備していると示唆していた。
 8月の一連のデータが期待外れだったことで、中国は一段の景気支援策がなければ、5%前後の年間成長目標を達成できないとの懸念が強まっている。
 
 中国の10年国債利回りは1ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)低下し、2.03%と過去最低を更新した。
 トレーダーがさらなる金融刺激策を織り込み始めていることが示唆された。
 外為市場では、人民銀が人民元の中心レートを1ドル=7.0531元に引き上げ、節目の7.0元が視野に入ってきた。
  
 
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人民銀が今後数カ月間に7日物リバースレポ金利と預金準備率を引き下げる?

 ピンポイント・アセット・マネジメントの社長兼チーフエコノミスト
   張智威氏
は、「人民銀が今後数カ月間に7日物リバースレポ金利と預金準備率を引き下げると私は予想している」と話した。
 24日の記者会見では金融当局者に「政策スタンスを明確にする」好機となるとの見方を示した。

   
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根強いサービスインフレがもたらすリスクはユーロ圏の景気に対する懸念を上回っているとの見方を示した。

 欧州中央銀行(ECB)政策委員会メンバーの
   カザークス・ラトビア中銀総裁
は23日付のラトビア通信とのインタビューで、「個人的な見解では、サービス価格のインフレリスクが現段階でより重大だ。しかし、一歩ずつ前進する中で状況を見極めていく」と述べ、「金利の方向が下向きであることは間違いない。利下げペースは今後の景気次第だ」と続けた。
  
 さらに、ECBはサービスセクターの価格上昇圧力に「驚かないように」と述べた上で、「反対方向に向かっている別な要素もある。それは景気の弱さだ」とも指摘した。
  
 「景気が弱いのに金利が高止まりすれば、不必要な景気減速をもたらし、失業率が上昇する恐れがある」と続けた。
    
   
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Charles Chubb チャールズ・チャブ(Charles Chubb ) イギリスの錠前および金庫の製造業者

チャールズ・チャブ
      (Charles Chubb )
   1779年 - 1846年
 イギリスの錠前および金庫の製造業者
 ハンプシャー州フォーディングブリッジに生まれ、鍛冶屋として訓練を受けた。
 ウィンチェスターで金物屋を開業し、その後ポーツマスのポートシーに移った。
 ここで彼は、1818年に兄の
   ジェレミア・チャブ
が特許を取得した「検出器」錠を改良した。
 チャールズはすぐにロンドンに移り、その後ウルヴァーハンプトンに移り、そこで200人の労働者を雇った。
 1835年、彼は金庫を盗難や火災に強いものにする工程の特許を取得し、その後ロンドンに大きな金庫工場を設立した。

 チャールズは1846年5月16日に亡くなり、息子のジョン・チャブ(1816-1872)が事業を継承した。
 チャブは会社の製品のさまざまな改良の特許を取得し、生産量を大幅に増やした。
 工場はモデル工場として1つ屋根の下に統合され、事業は巨大な規模に成長し、現在のチャブ・ロックスとなった。
 チャールズ・チャブは、1846 年 5 月 22 日にハイゲート墓地の西側に埋葬された。

    
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負けたら次は「出馬しない」とトランプ氏が発言 ただ、勝てば最高齢の大統領だが...

 11月の米大統領選で返り咲きを目指す共和党大統領候補の
   ドナルド・トランプ前大統領(78)
は、22日公開された米メディアとのインタビューで、落選した場合は次の大統領選には出馬しないと述べた。
 「今回成功しなかった場合、4年後に再び立候補するか」との質問に対し、トランプ氏は「いや、立候補しない。そんなつもりはない。(今回)成功すると希望を持っている」と答えた。
 憲法では大統領は原則2期8年までとされているが、立候補の回数に制限はないが一般的には大統領候補として何度もでることは資金的な問題もあり稀有だ。

 トランプ氏は今回当選すれば、バイデン大統領(81)を抜いて、就任式時点で最高齢の大統領となる。
 一方、落選した場合、「トランプ色」が強まる共和党で政治活動を続けるかどうかは特定勢力にとっては大きな関心事となっている。

    
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アルジャーノン・メシューエン(Sir Algernon Marshall Stedman Methuen) イギリスのメシューエン・アンド・カンパニーの創設者であり、古典学とフランス語の教師

サー・アルジャーノン・マーシャル・ステッドマン・メシューエン準男爵
              (Sir Algernon Marshall Stedman Methuen)
   1856年2月23日 - 1924年9月20日
 イギリスの出版者であり、古典学とフランス語の教師であった。
 彼は出版会社
   メシューエン・アンド・カンパニー
の創設者として最もよく知られています。

 メシューエンは、ロンドンで、ジョン・バック・ステッドマン( FRCS )とジェーン・エリザベス(旧姓マーシャル)の三男としてアルジャーノン・メシューエン・マーシャル・ステッドマンとして生まれた。
 彼は、バーカムステッド・スクールで教育を受け、その後、オックスフォード大学のウォダム・カレッジで教育を受け、同カレッジで修士号を取得した。
 オックスフォード大学卒業後、メシュエンは教職に就き、1890年から1895年にかけてサリー州ミルフォードのハイ・クロフト予備校の校長にまで昇進した。
 教職のかたわら、副業として
   AWSメシュエン
というペンネームで教科書を何冊か書き始め、その中でもフランス語、ギリシア語、ラテン語のシリーズが最もよく知られている。

 彼の著作の中には、園芸や時事問題に関する本もあった。
 1889年6月、メシュエンはMethuen & Co.(後のMethuen Publishing Ltd.)というレーベルで自身の教科書の出版と販売を開始した。
 2ヵ月後、彼は正式にメシュエンを姓として採用した。
 出版業での最初の成功は、1892年に出版された
   ラドヤード・キップリング
の『兵舎のバラッド』であった。

 メシューエンはボーア戦争を公然と批判した。
 1910年1月の総選挙ではギルフォード選挙区から自由党候補として立候補した。
 同選挙区は保守党の安全な選挙区であり、メシューエンは落選した。

 1916年、メシューエンはサリー州ハスルミアの準男爵に叙せられ、 その後、自身の回顧録を出版した。
 
 メシューエンは1884年にエミリー・キャロライン・ベッドフォードと結婚した。
 1924年9月、準男爵位が消滅した際に68歳で亡くなった。

    
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