2025年03月16日

カール・レムリ(Carl Laemmle)ユニバーサル映画の設立者であり、生涯で400本以上の映画製作に携わった。

カール・レムリ(Carl Laemmle)
   1867年1月17日 - 1939年9月24日
 米国の映画製作者、ユニバーサル映画の設立者であり、生涯で400本以上の映画製作に携わった。
 初期の映画界における重要人物の一人であるレムリはドイツ出身のユダヤ人で、1884年に米国に移住した。
 シカゴで20年間働いた後、規模の小さい庶民的な映画館
   ニッケルオデオン
を買収し、映画配給会社
   レムリ・フィルム・サービス
を設立した。
 やがて
   ユニバーサル映画
を設立した。
 彼は、映画監督のウィリアム・ワイラーや物理学者のアルベルト・アインシュタインの親戚でもある。
 1867年にヴュルテンベルク王国ウルム近郊のラウプハイムで生まれた。
 両親は従兄妹同士で結婚している。
 少年期はアイヒェンハウゼンで過ごした。
 1884年に兄を追って米国に移民し、シカゴに定住して
   レチャ・スターン
と結婚し、息子
   カール・レムリ・Jr
が生まれた。
 1889年にアメリカ市民権を得て帰化している。
 移住後は様々な仕事に従事し、1894年にウィスコンシン州オシュコシュの衣料会社
   コンチネンタル・ファッション・カンパニー
で簿記担当の仕事に就いた。
 1906年にコンチネンタル・ファッション・カンパニーを退職し、シカゴでニッケルオデオンの盛況ぶりを見て興行業を始めた。
 レムリは
   トーマス・エジソン
が映画配給の独占を企図した
   モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー
への抵抗を始め
   メアリー・ピックフォード
   フローレンス・ローレンス
などの俳優の宣伝を手掛けて収益力を高め、独立企業としての力を蓄えていった。
 妻の死後、レムリはニューヨークに移住して1909年には全米一のエクスチェンジ業者
   レムリ・フィルム・サービス
を設立し映画配給を始めた。
 次いで映画製作会社インディペンデント・ムービング・ピクチャーを設立した。
 1912年4月30日に映画会社8社と合併して
   ユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(ユニバーサル映画)
を設立し、社長に就任した。
 レムリは「映画の都」と呼ばれていたニュージャージー州フォートリーに新たに映画スタジオを設置した。
 1915年にはカリフォルニア州サンフェルナンド・バレーにある230エーカーの大丘陵地帯に総合映画スタジオ都市(ユニバーサル・シティ)を開設している。
 なお、オープンの際には、かつての仇敵エジソンが照明や撮影機材を手がけたという。
 アーヴィング・タルバーグやハリー・コーンは当初ユニバーサル映画でレムリの部下として働いていた。
 レムリはカリフォルニア州ビバリーヒルズに移住した。
 かつてトーマス・H・インスが暮らしていた住居を買い取り家族と共に生活の拠点とした。
 また、ニューヨークにも大きなアパートを所有し、子供たちのために維持していた。
 レムリはプロデューサーとして数百本の映画製作に携わり、ロン・チェイニー主演の『ノートルダムのせむし男』『オペラの怪人』の他に『笑ふ男』などの作品を手掛けた。
 また、1928年に社長の地位を譲られたレムリ・Jrもホラー映画の古典として有名な『魔人ドラキュラ』『フランケンシュタイン』などの作品を製作し、ユニバーサルに多大な利益をもたらした。
 しかし、世界恐慌の中でも莫大な製作費を投じるレムリ父子の製作姿勢に株主たちが不満を募らせた。
 その結果、1936年に二人はユニバーサルから追放された。
 レムリは映画業界での成功後、故郷ラウプハイムに財政支援を行った。
 1930年代にはナチス・ドイツからアメリカに移住するユダヤ人の入国手数料を肩代わりして数百人のユダヤ人をホロコーストから救った。
 また、移民の受け入れを容易に行えるように
   コーデル・ハル国務長官
に掛け合っている。
 最晩年の1939年には、ハバナからヨーロッパに送還される人々をアメリカに入国させようと試みている。
 ただ、この試みは失敗し、送還された人々の多くは死亡したと推測されている。
 1939年9月24日に心血管疾患のため、ビバリーヒルズで死去した。
 遺体はシカゴにあるホーム・オブ・ピース墓地に埋葬された。
   
    
posted by manekineco at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドイツが財政拡張めぐる憲法改正へ前進!!緑の党の合意を取り付けた。

 ドイツの次期首相候補の
   メルツ・キリスト教民主同盟 (CDU)党首
は14日、防衛・インフラ支出のための
   財政改革パッケージ
を巡り、緑の党と合意に達した。
 来週の議会での採決に向け、大きなハードルを乗り越えたことになる。
 
 憲法上の債務制限改正に必要な議会3分の2の賛成を確保するため、CDUを中心とする保守系会派とショルツ首相の社会民主党(SPD)は、緑の党の支持を取り付けようとこれまで腐心していた。
 緑の党は当初の財政パッケージを拒否し、
   気候変動対策
への積極的な取り組みを求めていた。
 メルツ氏は数週間後、ショルツ氏の後任となる見込みだ。
 
 メルツ氏は14日ベルリンで、同党議員らとの会談後、「ドイツは復活した」と記者団に語った。

 メルツ氏らは防衛費を
   債務制限の対象外
とし、5000億ユーロ(約80兆7600億円)の
   インフラ投資基金
を設立するという大々的な計画について、両院の支持を獲得しようとしている。
 この法案は18日、連邦議会(下院)で採決される予定だ。
 合意内容によるとインフラ基金は
   新規プロジェクト
に充当されるが、緑の党の要求を受け、うち1000億ユーロは
   既存の気候変動対策移行基金
に充てられる。
 また、防衛費の枠組みも拡大され、ウクライナへの支援とインテリジェンスが含まれることになった。
 30億ユーロのウクライナ支援パッケージも、来週には署名される可能性が高いとメルツ氏は述べた。
 合意を受けて、ドイツの債券価格は一時大幅安となり、10年債利回りは一時8ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)上昇し2.94%となった。
 その後は下げ幅を縮小した。
 ユーロは対ドルで上昇し、ドイツの主要株価指数であるDAX指数は1.9%高で引けた。
  
 合意が成立した今、両党は議員たちを取り込みに入った。
 メルツ氏とSPDは、25日に新連邦議会が招集される前に、法案を議会で可決させようと急いでいる。
 極右「ドイツのための選択肢(AfD)」と反資本主義政党「左派党」が勢力を拡大している中、新議会では
   憲法改正
に必要な支持を集めるハードルがさらに高くなるためだ。
 緑の党のハッセルマン共同代表は14日、議員会合後に記者団に対し「緑の党の議員団についてはまったく心配していない」と述べ、同党が合意を支持することに疑いはないと述べた。
  
 法案の採択に向けては、連邦議会に続き連邦参議院(上院)でも3分の2以上の賛成を得る必要がある。
 なお、緑の党の支持があれば、このシナリオは実現する可能性が高い。
 
 社会民主党のクリングバイル共同党首は、緑の党との合意は
   ドイツを「解放する」
と称賛したうえ、「敗者はいない」と述べ、「勝者は大勢いる。一番の勝者はドイツという国だ」と続けた。

 
ひとこと
 トランプ政治への危機感がドイツの政治家にはあるということだろう。
 烏合の衆でしかない日本の与野党政治家や宦官となりはてたともいえる官僚組織とは異なる動きだ。
 
  
posted by manekineco at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする