2017年01月22日

ジェームズ・N・マティス(James N. Mattis) 異名は「戦う修道士」「狂犬」


ジェームズ・N・マティス
      (James N. Mattis)

     1950年9月8日−


 米国海兵隊の軍人で最終階級は大将。
  
 2017年1月に発足した
   ドナルド・トランプ政権
で第26代国防長官に就任した。

 異名は「戦う修道士」「狂犬」

 
 ワシントン州プルマン生まれ、セントラル・ワシントン大学を卒業後、1972年1月1日付で
   海兵隊少尉
に任官、その後中尉に昇任し、第3海兵師団のライフル小隊長、武器小隊長を務めた。

 大尉に昇任後は第1海兵大隊(第1海兵師団・第7海兵連隊隷下)でライフル中隊長、武器中隊長を務めた。

 少佐に昇任した後は、オレゴン州ポートランドにある新兵募集基地で新兵募集任務に従事した。

 中佐に昇任して、第1海兵大隊長に就任した。
 湾岸戦争において、同大隊は
   「砂漠の盾作戦」
の決行にあたって任務遂行にための組織(タスクフォース)の1つ
   「リッパー」(Task Force Ripper)
の構成部隊の1つとなり、大隊長の1人としてタスクフォース・リッパーの指揮に関わった。

 その後、大佐に昇任し、第7海兵連隊長となった。

 海兵隊准将に昇進後、南アフガンで展開中の
   「不朽の自由作戦」
において、第1海兵遠征旅団と海軍隷下のタスクフォース58号を指揮した。

 同作戦で、マティスは海兵隊員としては初めて海軍のタスクフォースを指揮した人物となった。

 少将へ昇任後は、2003年のイラク侵攻では第1海兵師団を率いた。
 それに続くイラク戦争でも変わらず指揮をとった。

 2004年4月のファルージャでの
   ヴィジラント・リゾルヴ作戦
では、市内の暴徒たちの指導者との交渉で重要な役割を担った。

 またマティスは、11月の
   ファントム・フューリー作戦
の立案でも大きな役割を果たした。

 その後は中将へと昇進し、マティスは海兵隊戦闘開発コマンドの指揮をとった。
  
 そして2005年2月1日、マティスはサンディエゴの討論会で、「アフガニスタンへ行けば、ヴェールをつけていないからと5年間も女性たちを殴りつけてきた連中がいる。男の風上にもおけない奴らでしょう?そういう人間を的にするのは死ぬほど愉快でしたね。実際、戦うというのはとにかく楽しいものです。いや、面白すぎるといってもいい。誰かを銃の的にするというのは楽しい。はっきり言えば、私は喧嘩が好きなんだな。」とアドリブの発言が波紋を呼んだ。


 海兵隊の当時のトップ
   マイケル・ヘギー大将(海兵隊総司令官)
もこのスピーチを問題視した。

 しかし、マティスは言葉をもっと慎むべきであるが、懲戒処分には当たらないと述べた。

 従軍している
   兵士の多くが市民を虐待
していると仲間に告げていたことを示す米国国防総省の調査を受けて、マティスは2007年の5月に
   「市民に腹がたったりむかつくようなとき」
こそ
   「アルカイダやその他の反乱分子への勝利だ」
と海兵隊員たちに語った。

 暴徒を抑えるためには戦場での休息こそが鍵になるという考えに対し
   「イラク市民」
を揺さぶるたびに
   「アルカイダも墓場に転がっていく」
と答えた。


 大将としてのマティスは
   「偽りの友よりあからさまな敵の方がまし」
というローマ人スッラの言葉を使ったスローガンを指針として浸透させた。

 この言葉は、彼のもとで小隊を指揮していた
   イラリオ・パンターノ少尉
が自己防衛だとして非武装のイラク人を射殺した行為などが問題となった行為の査問中に有名になった。


 2007年から2010年まで、アメリカ統合戦力軍(USJFCOM)司令官。2008年からNATO改革連合軍司令官を兼任した。
 その後、2010年から2013年まで
   デヴィッド・ペトレイアス
の後任としてアメリカ中央軍司令官を務め、、2013年に海兵隊を退役した。



 2010年7月、マティスは国際治安支援部隊(ISAF)司令官兼アフガニスタン駐留アメリカ軍(USFOR-A)司令官に転出した
   デヴィッド・ペトレイアス陸軍大将
の後任として、ロバート・ゲーツ国防長官の推薦により、バラク・オバマ大統領よりCENTCOM司令官に指名された。

 この人事は、きわめて緊急性が高い人事だったこともあり速やかに上院軍事委員会による承認プロセスがとられた。

 これにより、2011年7月にアレン中将が大将昇任・補職に伴って退任するまでの1年近くにわたり、同じ統合軍の正副司令官ポストを共に海兵隊出身の将官が務めるという状況が生まれた。

 その後にオバマ政権と対イラン政策をめぐって対立して解任された。
 イランとの核合意に反対しイランをISIL以上の脅威と看做すマティスの姿勢が原因とされる。

 2013年に中央軍司令官を退任し、同年、海兵隊を退役した。

 2016年11月20日、ドナルド・トランプ次期大統領は2016年12月1日、オハイオ州シンシナティで行われた凱旋集会において、マティスを次期政権の国防長官に起用する方針を発表した。

 2017年1月20日、アメリカ合衆国連邦議会がマティスの国防長官就任を承認した。
 なお、これによりマティスはジョージ・マーシャルに次ぎ史上二番目の退役から7年未満の国防長官となる。  


 

  
posted by manekineco at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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