2017年01月25日

李 子春(り ししゅん/イ・ジャチュン) 李氏朝鮮を創建した李成桂の父親


李 子春(り ししゅん/イ・ジャチュン)
    
      1315年 - 1360年

 高麗末期の女真族の武臣でモンゴル名は
   吾魯思不花(ウルスブハ)
という。

 李氏朝鮮を創建した李成桂の父親
 
 高麗を東北方面からおさえる元朝の拠点の咸鏡道の
   双城総管府
において千戸(千人隊長)の役職についていた。

 高麗王朝第31代の
   恭愍王
が反元政策のもと、総管府を攻略した。

 このとき、李子春はただちに高麗に投降した。

 正室の懿恵王后は、中国山東半島登州人の崔氏で、咸鏡道に移住して暮らしていた。
 もともとの姓は趙であり、懿恵王后の父の名前は趙祚(조조)だった。

 ただ、元朝の役職千戸(千人隊長)任命されたことから
   崔閑奇
に改名して、その崔閑奇の娘が懿恵王后となる。

 そして、李子春と懿恵王后崔氏のあいだに生まれた子が李氏朝鮮の初代王李成桂。

 祖母の本貫は登州[であり、登州で戸長を務めていた
   崔基烈
の娘貞淑王后崔氏である。

 死後、王として即位した李成桂によって桓王、孫の3代国王朝鮮王によって桓祖淵武聖桓大王と追尊された。
 
   
 
 

    
posted by manekineco at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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