2017年02月19日

勝軍地蔵


 愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号
   愛宕権現
の本地仏であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏としている。

 飛鳥時代から奈良時代の呪術者で修験道の開祖
   役小角
が大宝年間に白山修験の開祖とされる
   泰澄
と山城国愛宕山に登ったとき、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、龍樹菩薩、富楼那尊者、毘沙門天、愛染明王を伴い大雷鳴とともに現れ、勝軍地蔵であったという伝承が残っている。

 また、敏達天皇の御代に百済王
   威徳王
から極めて高い
   二位達率(だっそつ)
という官位を与えられた倭系百済官僚の
   日羅
が勝軍地蔵を護持したとされる。

 さらに、平安時代前期の法相宗の僧で清水寺の
   延鎮
が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に
   坂上田村麻呂
の戦勝祈願を行ったことが記されている。

 ただ、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確ではない。
 密教での儀式の規則である
   儀軌
などは現存しておらず、『地蔵本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えらる。

 幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通しているが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在している。

  
 

  
posted by manekineco at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 社寺仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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