2017年03月01日

末代(まつだい) 富士信仰に深く関わる人物


末代(まつだい)
   1103年(康和5年)〜?


 富士信仰に深く関わる人物として知られる平安時代の僧で
   村山修験の祖
で富士上人とも呼ばれ、名は有鑑。

 駿河国の出身。

 鎌倉中期以前に記述された「浅間大菩薩縁起」では、垂髪(稚児)の時代から走湯山(伊豆山神社の前身)に入って苦行を重ね、各地の霊山を巡歴したとの記録がある。

 また、1268年(文永5年8月)「実相寺衆徒愁状」では、実相寺開山の
   智印(阿弥陀上人)
の弟子とされている。
    
 富士開山以前は伊豆山・箱根山を本拠とし、温泉の噴出によって地獄の景観を呈していた
   熱海の亡霊
を救うために山岳信仰の行場として松葉仙人が開基したと伝わる真言宗の古寺日金山の地蔵堂を開いた。

 「浅間大菩薩縁起」によると、1132年(長承元年4月19日)同志の
   頼然
とともに富士山の登頂に成功した。

 頂上で過去に登頂した金時上人・覧薩上人・日代上人らの遺品を発見した。
 4度目の登頂の際には仏具と不動明王を刻んだ鏡を山頂に奉納した。

 「本朝世紀」によれば、1149年(久安5年4月16日)末代上人が富士山頂に大日寺を建立したとある。

 富士山に数百度と登った修行僧との記録がある。


 末代上人の勧進によって、白山の宝殿に鰐口や錫杖を奉納し、白山信仰と積極的に関わったという。

 1149年(久安5年5月13日)には、鳥羽上皇以下の朝廷貴顕に大般若経の書写を勧め、富士山頂に奉納したとされ、その名は中央まで達していた。
  

 1399年(応永6年6月25日)の寺領知行地注文」によると、村山の地は中世には走湯山領であった。
 伊豆と富士の修験が一体となって村山口登山道を管理していたことが示されている。

 末代が富士登頂の際にベースキャンプとした富士山中腹の木立堺(森林限界)には滝本往生寺(中宮大日)が建立された。

 また、末代が浅間大菩薩の示現を受けた岩屋不動という霊地があった。

 末代の登頂を記録した『浅間大菩薩縁起』は、滝本往生寺に伝えられていたもの。

 1930年(昭和5年)富士山頂コノシロ池付近の岩陰から多量の埋納経の残骸が発見された。
 その中に「末代聖人」と記された紙片が発見されている。


   
  
  


     
posted by manekineco at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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