2017年07月01日

李 成梁 明朝時代後期の武官


李 成梁(り せいりょう)
     1526年 - 1615年

 中国明朝時代後期の武官で遼東総兵として遼東一帯を統括し、女真族の反乱や暴動などを起こさないように治安を維持する任にあたった

 モンゴル帝国の支配時代から明王朝の成立にかけて、朝鮮から移民した
   李英
の子孫である。

 李成梁の一族は遼東鉄嶺衛(遼寧省鉄嶺)の指揮僉事の職を代々世襲していた。
 隆慶4年(1570年)に遼東総兵となり、満洲の松花江一帯から外興安嶺以南の外満州にかけて居住していた女真族が侵攻し略奪するなど行為に対する防御に当たることとなった。

 女真族が建州女直・海西女直などに分かれ明との交易権を巡って争うようになっていた。
 李成梁は軍備を拡充しつつ、こうした反目に付け込み、内部分裂を図ることで抵抗勢力の軍事力を低下させ、遼東の安定に多大な功績を上げた。

 なお、この時期、李成梁の後援を得て女真族のなかで勢力の拡大に成功したのが、後の清の太祖ヌルハチである。

 李成梁は、長年にわたって遼東を統括し、地方の実力者として私兵を養い割拠した。
 一方で明朝の役人としては軍費の流用などの汚職や専断が多く、万暦19年(1591年)に弾劾されて失職した。

 ただ、当時能力が優れていたため、治安情勢の悪化により一旦は復職したものの、万暦36年(1608年)に再度罷免されている。

 息子に文禄・慶長の役で日本軍と戦った李如松、サルフの戦いに参加した李如柏らがいる。


 
 

   
posted by manekineco at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック