2017年12月11日

「温故知新」というが背景には?


 台湾にある台北故宮博物館で8日、満州族により建国された清朝の第6代皇帝
   乾隆帝
の文化財コレクションとそのラッピングアートをテーマとした特別展が開幕した。

 18世紀の器や書画、図書文献などの精巧で美しい展示品を通じて、当時のラッピングとデザインの精巧なアイデアを披露している。
 また、当時の独特な時代様式をもつ展示品などから、文化財の背後にあるストーリーを来場者に味わってもらうことを目指しているという。

 アートのブランドという新たな視点から乾隆帝を紹介している。

 さらに、温故知新をすすめ、中国の伝統芸術ブランドと現代人の生活とのつながりを深く理解してもらうように導いていると中国国営の新華社が伝えた。 


ひとこと

 乾隆帝は雍正帝と孝聖憲皇后(満州正黄旗出身のニオフル氏)との間の第4子として生まれtあ。
 祖父康熙帝に幼い頃からその賢明さを愛された。

 祖父、父とは違い
   派手好みの性格
であった。
 
 父の死去後、25歳で即位すると父雍正帝の時代に朱子や呂留良の思想に傾いて反清の念を強め、雍正6 (1728) 年に四川、陝西総督の
   岳鍾h
に謀反をすすめたことで捕えられた。また、
   曾静
を張熙とともに逮捕し
   凌遅刑
に処して、その一族も処刑するなどその存在感を示した。

 また、乾隆帝の功績として「十全武功」と呼ばれる10回の外征がある。
 
 
 ジュンガル(1755年、1757年 - 1759年、清・ジュンガル戦争)、四川の金川(1747年 - 1749年、1771年 - 1776年、大小金川の戦い)、グルカ(1788年 - 1789年、1791年 - 1792年、清・ネパール戦争、戦闘はチベット、ネパールで行なわれた)に2回ずつ、回部(ウイグル)及びバダフシャーン(1757年 - 1759年大小和卓の乱)、台湾(林爽文事件)、緬甸(1765年 - 1769年、清緬戦争)、越南(1789年、ドンダーの戦い)に1回ずつ計10回の遠征を十全武功と言って誇り、自身を十全老人と呼んだ。
 
 これにより清の版図は最大規模にまで広がったうえ、緬甸、越南、ラオス、タイまで朝貢するようになった。
 
 なお、白蓮教徒の乱などが起こった時期に中国におけるイエズス会の活動を禁止し、完全な鎖国体制に入った。
 
 この後、欧米の侵攻に対する清政府の抵抗力をが消滅して言った。
 
 1793年、イギリスの使節としてマカートニーが入朝したのは乾隆帝の代。
 三跪九叩頭の礼は免除したものの貿易摩擦に関する英国の要求は退けている。


    
 

   
posted by manekineco at 06:52| Comment(0) | ニュース・話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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