2018年09月04日

陰 麗華(いん れいか) 中国史上でも優れた皇后の一人


陰 麗華(いん れいか)

     5年 - 64年

 後漢の光武帝(劉秀)の皇后で明帝の母
 光烈皇后とも呼ばれる。

 異母兄に管中の末裔でもある陰識、同母弟に陰興、陰訢、陰就がいる。

 劉秀と同じ南陽郡(今の河南省と湖北省にまたがる)の新野県出身の豪族陰氏の娘。
 近隣でも評判の美女として、挙兵前の光武帝もあこがれていたといわれる。

 更始1年(23年)に劉秀に嫁いだ。

 建武1年(25年)に劉秀が即位すると貴人として洛陽に迎えられた。
 ただ、、光武帝が後に娶った郭昌の娘の
   郭聖通(郭貴人)
が先に男子の劉彊を産んでいた。

 光武帝は陰貴人を皇后に擁立したいと思っていたが、陰麗華は男子を産んでいないことを理由に断った。

 建武2年(26年)に劉彊は皇太子になたうえ、郭貴人が皇后に立てられた。

 建武4年(28年)に陰麗華は劉荘(2代目皇帝明帝)を産んだ。

 建武17年(41年)になると郭皇后がの自分勝手な性格から、光武帝に疎まれ、皇后を廃された。
 その後、陰麗華は皇后に、建武19年(43年)に劉荘は皇太子に立てられた。


 建武中元2年(57年)に光武帝が亡くなると、劉荘が即位したうえ陰麗華は皇太后となる。
 なお、陰麗華の生活は、皇后になってからも質素であった。

 また、親族が権力を握ることでトラブルが広がることがない様に政治に関与させないようにした聡明な女性であった。


 このため、明帝皇后の
   馬皇后
と並んで、中国史上でも優れた皇后の一人として称えられる。
 
  
  

  

   
posted by manekineco at 21:56| Comment(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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