2019年02月05日

士禍(しか 사화)


士禍(しか 사화)

 李氏朝鮮時代における、士(官僚)に対する粛清(弾圧)のこと。
 「士林(士林派)の禍」の略語。
 
 大規模地主の両班が主体となっていた勲旧派や国王の親戚筋である外戚側からは「乱」と呼ばれていた。
 その後、権力を取り戻した士林派が被害者として
   「無実の人が被った災禍」
と主張したうえで「士林の禍」という表現を用いた。

 士林派が政治的優位となった宣祖時代からはそのまま士禍という言葉が使われた。
 当初は、勲旧派や外戚が新興勢力の士林派に対して行ったが、大規模な粛清で勲旧派や民衆なども巻き添えになった。
 なお、後には士林派同士の学閥、党派争いによる士禍も起こっている。

 大きな士禍としては暴君として知られる第10代国王燕山君時代、金宗直の書いた世祖の王位簒奪批判の書面を理由に、勲旧派が士林派を大量粛清した1498年の戊午士禍がある。
 また、燕山君時代の1504年には燕山君の生母・尹氏毒殺の件に絡んで士林派と勲旧派合わせて約50人を一斉処刑した甲子士禍がある。

 1506年には燕山君の暴虐的な行為を痛烈に批判した功臣や民衆らを燕山君自身の手で大量粛清・大量処刑した丙寅士禍。事件。
 
 第11代国王の中宗時代、1519年に士林派のリーダー的存在であった
   趙光祖
の性急な改革に対する反動が起こり、趙光祖一派を大規模に粛清した事件「己卯士禍」が起きている。

 
 第13代国王の明宗時代、1545年に明宗の外戚尹元衡(文定王后・尹氏の弟)らによる反対勢力の粛清として乙巳士禍がある。

 第20代国王の景宗時代、1721年 - 1722年に景宗暗殺嫌疑による少論派による老論派粛清事件「辛壬士禍(辛丑・壬寅の獄)」がある。

 第21代国王の英祖時代、1762年に羅景彦の死刑および思悼世子(荘献世子)の餓死事件「壬午士禍(壬午の獄)」がある。

   
posted by manekineco at 00:00| Comment(0) | 語彙・語句・ことわざ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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