ジャン=ルイ・ロベール・フレデリック・デュマ
(Jean-Louis Robert Frédéric Dumas)
1938年2月2日 - 2010年5月1日
フランスの億万長者実業家
1978年から2006年までエルメスグループの会長を務めた。
また、同社の芸術監督でもあった。
デュマは会長在任中にエルメスを世界的な高級ブランドに成長させた功績で知られる。
ジャン=ルイ・ロベール・フレデリック・デュマはフランスのパリで生まれた。
姓はデュマ=エルメス。
父はロベール・デュマ、母はエミール=モーリス・エルメスの4人の娘のうちの1人である。
祖父のエミール=モーリス・エルメスは、デュマ社の創設者
ティエリー・エルメス
の孫にあたる。
デュマはパリ政治学院(Sciences Po)に通った。
シトロエン2CVでイラン、アフガニスタン、ネパールを旅行したこともある。
ジャズ・アンサンブルのドラマーとしてスカンジナビアやチェコスロバキアを旅行した。
その後、デュマは兵役義務を果たすためアルジェリアに派遣された。
デュマはニューヨークの高級百貨店
のバイヤートレーナープログラムに1963年に参加した。
1964年、彼は1837年に家族が創業したエルメスに入社した。
デュマは後にエルメスグループのCEOに就任し、同社のアートディレクターを務めた。
1978年に父親が亡くなり、デュマが会長に就任した。
彼は米国とアジアに進出し、会長に就任してエルメスを世界的なブランドに変え、ファッションデザイナーの
ジャンポール・ゴルチエ
とカメラメーカーの
ライカ
への積極的な投資を会社に実行させた。
1980年代、ゴルチエはパリでファッションデザインに携わり、1984年から1987年までベルギー人デザイナーの
がデザインアシスタントを務めた。
1993年に会社を株式公開したものの会社の約4分の3は家族が所有したままであった。
ジャン・ルイ・デュマは健康状態の悪化により、2006年1月にエルメスの会長兼アートディレクターを退任し、息子のピエール・アレクシ・デュマが後任となった。
妻のレナ・デュマ(旧姓グレゴリアデス)(1937年 - 2009年)はギリシャ生まれの建築家。
1972年にパリで
レナ・デュマ・アーキテクチャー・インテリウール
を設立した。
2人は1962年に結婚し、ピエール=アレクシ・デュマが生まれ、また、娘のサンドリーヌは映画女優である。
ジャン=ルイ・デュマは2010年5月1日、72歳でパリで亡くなった。
彼は生涯を通じて写真を撮り続け、2008年にはシュタイドル社から彼の写真集『ジャン=ルイ・デュマ:写真家』が出版された。
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