ローレンス・マーク・サンガー
(Larry Sanger Lawrence Mark Sanger)
1968年7月16日生まれ
1968年7月16日生まれ
アメリカ合衆国の哲学者。専門家が参加するフリー百科事典プロジェクト
シチズンジアム(Citizendium)の創始者。
哲学者としては認識論(epistemology, theory of knowledge)に関心をもつ。
多くのオンライン百科事典のプロジェクトに関わっており、
Nupedia
の編集主幹、および
チーフ・オーガナイザー
を務め(2001年 - 2002年)、その後身
ウィキペディア
の共同設立者でもあった。
Nupediaでは記事の編集プロセスのとりまとめをおこない、ウィキペディアの初期にはコミュニティ・リーダーとして基本的な運営方針の大部分を形にした。
こうした活動と平行してオハイオ州立大学で哲学の教壇に立った。
また専門家の執筆・編集によるEncyclopedia of Earthの初期構想にも参加した。
2006年9月15日にウィキペディアのフォークとしてCitizendiumの構想を発表した。
現在編集主幹を務めている。
このプロジェクトは2007年3月25日にサービスを開始した。
ワシントン州ベルヴュー生まれ、7歳のときに一家がアラスカ州アンカレッジに移った。
サンガーは初等教育のほとんどをアンカレッジで受け、優秀な生徒として知られることになった。
少年時代から哲学に関心をもった。
高校生時代に「哲学でいったい何をやるのか」と聞かれたサンガーは「たとえばみんなの考え方をかえること」と答えたという。
1986年に高校を卒業し、リード大学の哲学専攻へ進学した。
大学時代には悟性(understanding)や認識の起源(sources of knowledge)について研究した。
またインターネットとその情報発信能力に関心をもった。
後年にwikiをオンライン百科事典として使うことの有益性に思い至ったのは、こうした関心が反映されているという。
インターネットを用いた最初の試みはリストサーバ(listserver, メーリングリストを発行する技術のひとつ)を用いて学生と講師が交流できる場をつくるもので、「専門性の高い指導」を可能にし、「チュートリアルおよびその方法論を討議し、ボランタリーで自由な講師と学生が従来の大学機関を介さずに互いを見つけ出し、そのことのメリットと可能性を追求するためのインターネット上のフォーラムとして機能する」ことを試みるものであった。
サンガーは哲学をディスカッションするメーリング・リストを作り、調停役として参加した。その「体系的哲学協会」(Association for Systematic Philosophy)は会報も刊行した。
1994年3月22日付の投稿では、サンガーはマニフェストを起草している。
サンガーは1991年にリード・カレッジで哲学の学士を、2000年にオハイオ州立大学で哲学のPh.D.を取得した。
学士論文は『デカルトの方法論とその理論的背景』("Descartes' methods and their theoretical background")と題されたものである。
博士論文は『認識論的循環:メタ正当化問題についての試論』("Epistemic Circularity: An Essay on the Problem of Meta-Justification")である。
1998年から2000年にかけては「サンガーのY2Kニュース・レヴュー」(Sanger's Review of Y2K News Report, 以前はsangersreviw.comに設置されていた)というウェブサイトを運営している。
これはいわゆる2000年問題に関心をもつ者のためのリソースサイトであった。
2007年から、サンガーはオンライン教育の可能性を検討し始め、「一方的な伝達行為ではなく、脱中心的で、自己決定的で、非同時的で、完全にデジタルで、遠隔的にオーガナイズされる教育について考えてみた」と述べ、「いくつかの基本的なルールの他には強制力をもつ官僚的機構がなく、意思決定は完全に教師と学生の手によって行われるものになるだろう」と語った。
Nupediaはウェブ・ベースの百科事典で、専門家によって執筆された記事をフリーなコンテンツとして提供するものだった。
ジミー・ウェールズによって設立され、ドット・コム企業
Bomis
の賛助を得た。
編集主幹として雇用されたサンガーは、他の編集者を募り、記事のレビューのプロセスを考案した。
Nupediaの遅々とした進行に疑問を抱いたサンガーは、2001年1月にウィキを用いて執筆編集作業を効率化することを提案した。
この提案を形にしたものが2001年1月15日に公式発足した英語版ウィキペディアである。
サンガーはNupediaの活動の中心的存在であったため、ウィキペディア立ち上げの際には先頭にたってプロジェクトを進行し、名付け親となり、基本的な方針の大部分の構想を行った。こ
の中には「あらゆるルールを無視せよ」および「中立的観点」というポリシーも含まれている。
サンガーは2001年1月15日から2002年3月1日までの期間、ウィキペディアで唯一の報酬を受け取る編集者だった。
2002年2月にBomis社がサンガーの給与支払いを停止するまでNupediaとウィキペディア双方で働くとともに宣伝活動も行った。
なお、3月1日にNupediaの編集主幹およびウィキペディアのチーフ・オーガナイザーの職を辞した。
サンガーは両プロジェクトでボランティアとして参加することをやめた理由として、パートタイムのボランティアでは満足に参加することができないからだと語っている。
Nupediaはその翌年閉鎖した。
2004年12月、サンガーはウェブサイトKuro5hinにおいて、「プロジェクト内部に社会的・政治的に有害な雰囲気が存在」しており、そのことも彼の離脱の原因となっていると述べた批判記事を発表した「
ウィキペディアのメリットは十分に評価する」として「その使命と基本的なポリシー」はよく理解しており支持する、としながらも、このプロジェクトには深刻な問題があると述べている。
現在、ウィキペディアの事実上のリーダーを務めている
ジミー・ウェールズ
は、2004年以来、サンガーがウィキペディアの創設に参加したことを積極的に認めない言説を行っている。
サンガーは一職員であり、ウィキペディアの共同設立に関しては「当初、同僚の中で(設立を)笑い話以外のものとして考えた者は一人もいなかった」とウェールズは述べている。
一方、少なくとも2001年9月時点ではサンガーは共同設立人と認知されていた。
サンガーは哲学の教授としてオハイオ州立大学の講師職に就き、2005年6月まで教壇に立った。
専門は認識論で、とりわけ初期近代の哲学および倫理学を扱った。
余暇にはオハイオ州コロンバスやデイトンでフィドルを用いたアイルランドの伝統音楽の演奏や指導を行っている。
また、伝統的なフィドルについてのウェブサイトも運営している。
2005年12月、ディジタル・ユニヴァース財団(Digital Univers Foundation)はサンガーが「分散コンテンツプログラム」(Distributed Content Programs)のディレクターとして雇用されていると発表した。
その後、2006年初頭に立ち上がったDigital Universe Encyclopediaのウェブ・プロジェクトの中心的なまとめ役となった。
Digital Universe Encyclopediaは、項目執筆およびユーザーの投稿記事の正確さをチェックする専門家を雇用する予定であり、この企画の最初のステップが、地球についての電子レファレンスであるEncyclopedia of Earthであった。
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