ルシュトゥニ家(Rshtuni Rashduni, Rshdouni, Reshdouni, Rashdouni, Rachdouni, Rachdoni, Rshduni, and Rushdoony)
アルメニア高原を中心とする鉄器時代のウラルトゥ王国の
ルサス1世(在位:紀元前735年 - 紀元前714年)
の子孫とされる、ルシュトゥニク地方を統治した古いアルメニア貴族の家系である。
この家系で最初の人物として記録があるのは、およそ330年ごろのマナジール・ルシュトゥニで、ゾラの兄弟である。
335年と350年にアルメニア王 ティランに対して、
ヴァチェ・アルツルニ王子
とともにゾラは反乱を起こした。
王は2つの家族の絶滅を命じたが
サヴァスプ・アルツルニ
タジャト・ルシュトゥニ
が生き残った。
後者のタジャトは、370年から380年の間に記録されているガレギン・ルシュトゥニの父親にあたる。
アルタク・ルシュトゥニは445年に記録されており、この一族は、ルシュトゥニクの地域と、ペルシアに対するアルメニアの反乱でブズヌニ一族の絶滅後にアルシャクニスから得たブズヌニクを統治している。
ルシュトゥニ族は主にビザンチン帝国に対してササン朝ペルシア人を支援した。
7世紀初頭のこの一族の最も有名な人物であり指導者は、ビザンチン帝国とアラブの野望の間でアルメニアの存続を確保するという困難な任務を担い 638年から655年までアルメニアのマルズバン(軍司令官)
テオドロス・ルシュトゥニ
である。
ササン朝の崩壊後、642年にイスラム教徒によるアルメニアへの侵攻が始まった。
テオドロスは最終的にカリフによってダマスカスに追放された。
テオドロスの追放後、この一族は次第に重要性を失い、アルツルニ家の家臣となった。
656年にマミコニアン家にブズヌニクの世襲領地を奪われ経済基盤が喪失した。
ヴァルト・ルシュトゥニは705年に確認されたこの一族の最後の一族となった。