フォルティス( Fortis、旧称Fortis NV/SA)
欧州ベネルクスを拠点とする保険、銀行、投資管理業務を行う世界的な金融サービスグループとして存在した
ベルギー・オランダ系総合金融機関
で、1990年にベルギーとオランダの保険会社であるAMEV社とVSBグループ社の3社による合併により設立誕生し、ブリュッセルに本社を置いていた。
1998-1999年にスエズSA からベルギー総合会社を買収するなど、複数の買収を通じて急速に成長した。
従業員は全体で80000人以上を擁し、2007年度の銀行売り上げで欧州においては
に次ぐ第2位にランクインし収益で世界第20位の金融サービス企業となった。
ユーロネクスト・ブリュッセル、ユーロネクスト・アムステルダム、ルクセンブルクの証券取引所に上場していた。
フォルティスは、2007年に
ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド・グループ
と共同で
を買収したことで、2008年の金融危機(リーマンショック)で深刻な問題に直面した。
同社はベルギー政府とオランダ政府から緊急救済を受け、その後すぐに解体された。
その結果、フォルティス銀行ネダーランドはオランダ政府によって国有化された。
2007年の買収後まだフォルティスと統合されていなかったABNアムロの旧オランダ事業と2010年7月に合併し、同じく
と呼ばれる新しいグループを形成した。
その他の銀行業務は2008年に
に買収され、それぞれベルギーの
BNPパリバ・フォルティス(フォルティスのブランドは保持)
ルクセンブルクの
BGL BNPパリバ
ポーランドの
BNPパリバ・バンク・ポーランド
トルコの
Türk Ekonomi Bankası
の一部となった。
フォルティスのオランダの保険事業は、フォルティスが1997年に買収したオランダの保険会社の名前をとって
ASR Nederland
として再編された。
残った保険事業は依然としてベルギー最大規模であり、2010年4月に
Ageas
にブランド名を変更した。
2022年現在、フォルティスのブランド名はベルギーの
BNPパリバ
によってまだ使用されているものの、そのカラフルなロゴは買収後間もない2009年に廃止された。
Fortis は、保険会社AMEV ( Algemeene Maatschappij tot Exploitatie van Verzekeringsmaatschappijen、以前は「De Utrecht」として知られるLevensverzekering-Maatschappij Utrecht )とVSB Groep の合併の結果として 1990 年に誕生した。
ユトレヒトと名付けられた統合事業体は、1990年12月にベルギーの保険会社である
AG Insurance
が加わり、その結果できたグループはFortisという名称となり、欧州金融サービス部門における国境を越えた合併の画期的な前例を確立した。
1993年、フォルティスはベルギーの大手銀行
ASLK/CGER
の過半数株式を取得し、1999年に完全子会社化した。
一方、ASLK/CGERは1995年に別のベルギーの大手銀行
Société Nationale de Crédit à l'Industrie
を買収した。
1997年3月、フォルティスはABNアムロからオランダの投資銀行
ミースピアソン(MeesPierson)
を買収し、投資銀行業務での地位を確立した。
1998年6月、フォルティスはABNアムロとの熾烈な買収争いに勝利し、ベルギーの大手銀行
ジェネラル銀行(GB)
を買収した。
2000年3月、VSB銀行、ASLK/CGER、GBの支店はすべてフォルティス銀行としてブランド名を変更した。
2000年、フォルティスはオランダの保険会社
ASR Nederland
を買収した。
ASR Nederland自体は、有名な保険会社
シュタッド・ロッテルダム・フェアケリンゲン
(Stad Rotterdam Verzekeringen)
との最近の合併によって設立されたもので、オランダで2番目に大きい保険会社、ベネルクス全体では最大の保険会社となった。
2002年11月、フォルティスはユニバーサル マルチチャネル銀行保険会社であり、ベルギー、ブルガリア、チェコ共和国、ハンガリー、スロバキアの個人顧客と中小企業に重点を置いていた
KBCグループ
のオランダ法人向け銀行業務の大半を買収した。
2003年8月、フォルティスはMeesPiersonの元子会社であるオランダの投資銀行
Theodoor Gilissen Bankiers
をKBCに売却した。
2005年4月、フォルティスはトルコの銀行
Dışbank
をトルコ最大の複合企業Doğan Holdingから買収し、その支店もフォルティスに改名して海外展開を開始した。
英国では2005年10月4日にプルデンシャル・ファイナンシャルから
ドライデン・ウェルス・マネジメント
を買収したが、2000年以降は米国での保険事業を売却した。
フォーブス誌によると、2006年時点で同社の利益は45億6000万ユーロ、時価総額は457億4000万ユーロだった。[要出典]
2005年初め、フォルティスはサハラ以南アフリカの子会社である
Banque Belgolaise
を売りに出したものの、適切な買い手が見つからず、フォルティスは2006年10月23日以降、すべての業務を停止した。
2006年10月、同社はアイルランドの郵便サービス
An Post
と合弁事業に署名し、An Post の支店ネットワークを通じて金融サービスを提供した。
2006年10月、フォルティスは、806人の従業員と125を超える支店とフランチャイズを持つポーランドの個人向け銀行
Dominet
の100%を買収した。
2007年には、 Pacific Century Insurance Holdings (後のFortis Insurance Asia )を買収し、アジアへの進出を強化した。
2007年10月8日、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド、フォルティス、サンタンデール銀行の3つの欧州銀行の連合が、それぞれの頭文字をとって名付けられた合弁会社である
RFSホールディングス
を通じてABNアムロの買収を完了した。
ABNアムロを分割後、フォルティスはベネルクス諸国における小売および事業活動と国際投資会社を取得した。
小売活動をフォルティス銀行に統合するには
オランダ銀行(DNB)
の許可が必要であったため、事業活動はEUの市場シェア規制により再売却した。
フォルティス インシュアランス UK は、独自の社内世界規模の医療緊急サービス
アシスタンス インターナショナル
を所有していた。
フォルティスは、RSC アンデルレヒトとフェイエノールト ロッテルダムの サッカークラブのシャツ スポンサーでした。また、トルコ カップとルクセンブルク ナショナル ディビジョンのメイン スポンサーでもあった。
2008年10月3日、オランダ政府がベルギー政府とFortis Bank Nederland、Fortis Verzekeringen Nederland、Fortis Corporate Insuranceの買収に合意したと発表した。
2008年10月5日、ベルギー政府は
Fortis Bank Belgium
を買収し、その75%を
BNPパリバ
に再売却し、BNPパリバは
Fortis Insurance Belgium
も買収したと発表した。
ルクセンブルク政府はFortis Banque Luxembourgの3分の1を保有している。
実際のFortisグループ自体は、ヨーロッパとアジアで保険を保有する
Fortis Insurance International
のみを保有しており、事実上の空洞のままであった。
2008年12月12日、裁判所の判決により、10月3日、5日、6日の売却は
株主の承認 (遅くとも 2009年2月12日)
を条件とした。
それまでは、オランダ政府が購入した部分を保有し、フォルティス銀行はベルギー政府の所有物となり、フォルティス保険ベルギーはフォルティス グループ (フォルティス保険インターナショナルと共に) に残った。
2009年2月11日、株主は売却の承認を拒否したため、この売却は違法となった。
さまざまな部分の実際の所有権は、さらなる交渉および/または訴訟の問題となった。
再交渉の結果、株主の承認 (2009 年 4 月 8 日〜9 日の会議) を条件とする新しい取引が成立した。
フォルティスは、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド・グループ(RBS)およびサンタンデール銀行とのコンソーシアムの一員であり、2007年10月8日にABNアムロの発行済み株式の86%の買収提案が受け入れられ、史上最大の銀行買収の道が開かれたと発表した。
2007年11月1日、ABNアムロの経営陣を変更するために臨時株主総会が開催された。
RBSのマーク・フィッシャーがCEOに就任した。
その会議でコンソーシアムは、全株式の97%を保有していると述べた。
2009年2月26日、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドはABN-AMROの株式で160億ポンドを超える損失を計上すると発表し、買収価格は高すぎると市場では思われた。
買収資金を調達するため、フォルティスは既存の株主に割引価格で追加の株式を発行した。
1株あたり15ユーロという特別価格を実現した。
しかし、2008年6月までに、フォルティスは
国際金融危機
が迫っており、資本増強のために83億ユーロを追加調達する必要があると発表した。
1億5000万株が当時の株価10ユーロで追加発行されたため、大局的に見ればまだお買い得な価格設定であった。
これらは同じ日に大口投資家に売却された。
ただ、大きな懸念は、ABN-AMRO の今後の償却であった。
支払われた金額には、バランスシートに載せることができない無形資産の巨額が含まれていた。
償却は、ABN-AMRO が独立銀行でなくなる場合にのみ発生するが、その場合、Fortis は銀行に求められる資本基準を満たせなくなる危険があった。
もう 1 つのデメリットとしては、ABN-AMRO の小売業務が Fortis に統合された場合の事業活動の売却による損失であった。
EU 規制のため、小売業務の売却が強制されたため、全額で実行されず、売却で 3 億ユーロの損失が報告された。
しかし、後に、Fortis の監査役会会長である
リッペンス(Lippens)
が、およびより良い価格で売却できるよう期限の延長を求めて交渉の余地を得るために EU であらゆる手段を講じたと主張していたものの、実際には延長を申請していなかったことが判明した。
Kroes 委員は、何の連絡もなかったと報告した。
リッペンス氏は、それは単なる比喩だったと説明した。
追加の 83 億ユーロの調達は、年間配当金を廃止し、15 億ユーロを節約することで部分的には実現した。
しかし、リッペンスは以前から、配当金はそのまま支払うことを明言し、繰り返し約束していた。
この配当金は、銀行と同じくらい安全で信頼できる投資であったフォルティス株の最大のセールスポイントで、数十年にわたって存在していた。
しかし、配当金の廃止が株主を落胆させ、株価は 6月26日には 12 ユーロ以上から 10 ユーロ強にまで下落した。
この下落は会社の価値を 40 億ユーロ以上減少させたうえ、その後さらに株価は下落した。
2008年12月12日(事件から6か月後)の
ヘット・フィナンシエール・ダーグブラッド紙
の分析にょれば、フォルティスは計画を策定する際に
株主への影響を無視
していたと述べている。
英国と米国の株主は、フォルティスが以前の株式発行の直後にさらに資金を必要としているが判明したため、フォルティスは信頼できないと感じて追加購入を拒否した。
オランダのABP、ロシアのミレニアム、リビアのLIA、中国の平安など、かなり異例の株主だけが新たに購入する用意があった。
しかし、新たな購入では25%の値引きとさらなる措置が講じられるという確約を要求した。
なお、発行済み株式の合計15%を保有するベルギーの株主は無視され、計画が発表されて初めてそのことを知った。
彼らの多くは以前の株式発行の支払いのためにローンを組んでいた。
また、そのローンの返済には配当金を当てにしていた背景がある。
彼らは無配が明らかになったことで、激怒した。
株式が10ユーロの価格で大口投資家に売却されたと発表された時点で、株価は実際には10ユーロまで下落した。
(偶然ともいえるが、異例の株主が要求して得られた割引が打ち消された。)
2008年7月11日、フォルティスのCEOである
ジャン・ヴォトロン氏
が辞任した。
株価に反映されているフォルティスの総価値は、その時点で買収前の3分の1となり、ABNアムロのベネルクス事業のみに支払った価値をわずかに下回っていた。
株価は10ユーロを下回って揺れ動き続けた。ヴォトロン氏の後任としてCEOに就任した
ヘルマン・フェルヴィルスト氏
は、数週間後に記者会見を開き、自己紹介を行うとともに、フォルティスが堅調であることを株主に再確認させた。
フェルヴィルスト氏は一時的に好印象を与えることに成功して株価は上昇した。
しかし、市場全体が下落するにつれ、フォルティスの株価も下落した。
2008年9月25日木曜日、フォルティスの株価は5.5ユーロ(日中)まで急落した。
これは、ラボバンクがフォルティスの財政難の救済を求められたとの噂によるものだった。
フォルティスとラボバンクの双方がこの噂を否定したことで、株価はいくらか回復した。
翌日、フォルティスは、2008年初頭以来、銀行の預金の約3%しか引き出されていないというプレスリリースを発表した。
CEO(フェルヴィルスト)はアナリストと株主を安心させるために記者会見を開いた。
彼は現状に関する実際の数字は示さず、フォルティスは堅調であり、破産が迫っていると考える理由は全くないと述べたが具体的な説明でもなかった。
株価は再び急落し5ユーロ強で引けた。
CEOはその日の夕方に辞任し
フィリップ・ディルクス
が新しいCEOに任命され、株主総会で承認されることとなった。
その後、1週間でフォルティスの株価はさらに35%下落した。
11月20日のフォルティス株主回覧によると、破産の噂により企業顧客による多額の引き出しが起こった。
流動性の問題が始まったのは 9 月 26 日金曜日になってからだった。
11月24日のオンデルネミングスカーマーの裁判手続きによると、その金曜日に200億ユーロが引き出された。
翌週の月曜日にはさらに 300 億ユーロの引き出しが予定されていた。
なお、支払い能力の問題はなく、流動性の問題だけがあった。
ルクセンブルク政府はフォルティスに支援を申し出た。
フォルティスはルクセンブルク政府とベルギー政府とともに
シャンティ スワミ トラスト
(米国/BVI のプリベット ファミリー トラスト)
の 125 億ユーロと 145 億ユーロの資金援助を受け、それぞれ
フォルティス バンク ルクセンブルク
フォルティス バンク
の 51% (SS トラスト) + 25% の株式を一時的に (1 年間) 取得する計画を策定した。
なお、この計画には、オランダの ABN-AMRO をオランダ政府に売却することが含まれていた。
12月24日にヘット・フィナンシエール・ダグブラッドが報じたところによると、9月25日に起こった出来事は、フォルティスがベルギーの金融規制当局であるCBFAから召喚され、問題解決の強力なパートナーを探すよう求められたというものであった。
その後、フォルティスはオランダとベルギーの財務大臣と金融規制当局の緊急会議で議論の対象となった。
部分的または全面的な買収の噂が広まった。
その後、他の銀行が確かに予備的な買収提案(INGは1株当たり1.50ユーロ、BNPパリバは2ユーロ)を行ったと報じられたが、政府が中心となったため、これらの交渉は短縮された。
フォルティスは2008年9月28日に部分的に国有化され、ベネルクス3か国が銀行に合計112億ユーロ(163億米ドル)、(100億ポンド)を投資した。
最初のプレスリリースでは、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクがベルギー、オランダ、ルクセンブルクのフォルティス銀行にそれぞれ47億ユーロ、40億ユーロ、25億ユーロを投資すると報じられた。
実際には、ベルギーはフォルティス銀行SA/NV(フォルティスの総合銀行部門)に新規発行株式と引き換えに株式を投資し、同社の発行済み株式総数の49%を占めた。
オランダもフォルティス銀行ネーデルランド(フォルティス銀行SA/NVの一部)に同様の投資を行った。
ルクセンブルクは、フォルティス・バンク・ルクセンブルク(同じくフォルティス銀行SA/NVの一部)の株式49%に転換可能な融資に同意した。
これは、銀行部門の3分の1のみが依然としてフォルティス・グループによって所有され、銀行部門(投資部門を含む)の将来の利益の3分の1のみが株主の利益となることを意味した。
しかし、株主は依然として保険部門の利益を全額受け取ることができ、また会社の安全な存続も保証された。
これと同時に、ABNアムロの小売事業をフォルティスに統合する計画は中止された。
これらの事業は売却されることが発表された。
120億ユーロ未満の売却はフォルティスの中核株主資本に影響を与えることになった。
(当時の中核株主資本は300億ユーロ、1株当たり約13ユーロと報告されていた)。
翌日、株価は最初は上昇したが、その後急落した。
市場全体もそれに引きずり込まれ「ブラックマンデー」と後に呼ばれた。
しかし、4ユーロを大きく下回ることはなかった。
その週の残りの期間で株価は回復したが、6ユーロには届かず、5.4ユーロで週を終えた。
この好転の一部は、9月30日にフォルティスが中国企業平安がフォルティス・インベストメンツの協力から撤退すると発表したことに起因しており、市場はこれをフォルティスが単独で対処できるほど強力になった兆候として歓迎した。
11月20日の今週は企業顧客による多額の引き出しが続き、さらなる
流動性問題
を引き起こした。
国立銀行は緊急融資(ベルギーとオランダの銀行&SSトラスト(シャンティ・スワミ・プリベット・トラスト)からそれぞれ590億ユーロと70億ユーロ)を提供し、これは実際にほぼ全額(それぞれ540億ユーロと70億ユーロ)使用された。
12月9日、オランダのボス財務大臣のインタビュー記事がフリー・ネーデルラント紙に掲載された。
ボス大臣は、フォルティスの一部を買い戻すという基本的なアイデアは夏前に広まっていたと述べた。
9月28日日曜日、オランダ政府はフォルティスへの支援が必要かどうか確認するため、詳細な計画もなしにブリュッセルの会議に立ち寄った。
彼らが到着したとき、ベルギー首相、ベルギーとフランスの財務大臣、ECB総裁トリシェ、フォルティスの代表者3名による会議が進行中だった。
計画は進んだ段階にあり、正確な数字が出回っていた。
10月3日、テレビで生中継された記者会見(18:00)で、オランダの ヤン・ペーター・バルケネンデ首相 、ウーター・ボス財務大臣、オランダ中央銀行総裁ヌート・ウェリンクは、オランダ政府がフォルティスのオランダ銀行・保険部門を168億ユーロ(233億ドル)で買収すると発表した。
オランダ人は、フォルティス銀行ネーデルランド、フォルティス保険ネーデルランド、フォルティス・コーポレート・インシュアランス、そしてフォルティスがまだ保有しているABNアムロの小売事業の保有者となる。
これは後にオランダ財務省のプレスリリースで確認された。
同時に、ルクセンブルク政府とSSトラストは、その株式の52%にまで支配権を増やした。
その後、ルクセンブルクがルクセンブルク証券取引所の一部とフォルティスの別の会社も象徴的な価格で1ユーロで買収したことが明らかになった。
当初、ベルギーのルテルム首相は、オランダ(およびルクセンブルク)による買収を顧客、株主、従業員にとって朗報として歓迎し、これが将来への強固な基盤を提供すると述べている。
しかし、ベルギーの新聞は、ベルギー国民が
即座に激しい怒り
を表明したと報じた。
オランダ人に対して、約束された40億ユーロの支援が実行されない。先週、オランダの企業によるフォルティス銀行ネダーランドからの資金引き出しを画策し、ベルギー国立銀行に500億ユーロの緊急融資を強いた。
他の銀行、特にABN-AMRO(フォルティスが所有)からのフォルティスへの信用枠を遮断することといった罪状で告発された。
オランダ人は欲しいものを何でも市場価格以下で売却することを強制した。
また、オランダのボス財務大臣が10月3日に発表した声明の文言も反発を招いた。
ボス財務大臣は、買収したオランダ企業は極めて健全であり、現在は保護されていると強調していたが、これはフォルティスのベルギー部分の問題がすべて腐敗していることを暗示しているように思われた。
10月5日日曜日のテレビ出演で、オランダ国立銀行
ヌート・ウェリンク総裁
は交渉を振り返り、オランダは最終的にベルギーを助けるために厳密な市場価格以上の金額を支払ったと明かした。
ウェリンクは、フォルティスの残りの(ベルギー)部分が今や十分な資本を有する企業になっていると聴衆に保証した。
その後、オランダのメディアは、オランダ人が9月28日の合意から帰国後、自分たちが交わした取引にひどく動揺したと報じた。
当時は大まかな概要についての
口頭合意
のみが交わされていたが、いざ書面で合意する段階になって、オランダ人は、40億ユーロで、あまり関心
のない(
ABN-AMROとオランダの保険会社を含むオランダのフォルティスの全株式ではなく(
後に総額50億ユーロで売却された)
フォルティス銀行ネダーランド
の50%の株式しか購入できないことに気付いた。
また、ベルギー人は、47億ユーロで、銀行全体の株式(フォルティス銀行ネダーランドとルクセンブルクだけでなく、フォルティス・インベストメンツとABN-AMROも含む)の50%の株式を手に入れることに気付いた。
さらに、ベルギー政府がオランダの保険会社に対する追加権利を確保していたことが明らかになった。
したがって、オランダのボス財務大臣は議会で合意を公然と擁護しながらも、秘密裏に再交渉について必死に協議していた。
後にヘット・フィナンシエール・ダグブラッド紙の分析でも確認され、オランダは交渉から完全に除外されていたが、最終段階で
不利な立場で交渉に参加
したため、摩擦と不信が生じていたと明らかにした。
フォルティスの経営陣は、3か国すべてが最初から関与していれば、会社全体を救えたはずだと後から振り返って確信していると後講釈を並べ立てた。
10月21日、オランダ政府は ABN アムロ銀行とフォルティス銀行オランダを将来合併させ
「強力なオランダ銀行」
を設立すると発表した。
オランダの保険部門は売却される予定だった。
11月21日、オランダ財務大臣は、フォルティス保険オランダをASR オランダという復活した名前で分離する
と発表した。
そして、2009年6月6日、オランダ政府はフォルティス コーポレート保険をアムリンに3.5億ユーロで売却した。
10月3日の発表後、ベルギー政府は週末中緊急会議を開催した。
フォルティスについて協議し、ここで、ベルギー首相が述べた目的は、フォルティスの株価がこれ以上下落するのを防ぎ、オランダの諺にあるように、文字通り「リンゴと卵ほどの価値はない」(「niet voor een appel en een ei 」 )、フォルティスが安値で売却されないよう保証することであった。
2008年10月5日日曜日の夕方、デ・ティド紙は、フランスの銀行
BNPパリバ
がフォルティスの株式の過半数を取得し、ベルギー政府とルクセンブルク政府はBNPパリバの株式と引き換えに阻止権を持つ少数株主となるだろうと報じた。
この取引には主要持株会社は含まれていないが、フォルティス・インシュアランス・インターナショナルを除く保険および銀行子会社は含まれている。
より詳しくは、ベルギー政府はフォルティス・グループからフォルティス銀行SA/NVの残り51%を追加の47億ユーロで購入し、104億ユーロのストラクチャード商品のポートフォリオを分割し、そのうち66%の株式をフォルティス・グループに売却し(69億ユーロ)、その後、フォルティス銀行SA/NVの75%の株式をBNPパリバに売却した。会社全体の評価額は110億ユーロで、株式で支払われることになり、ベルギー政府はBNPパリバの最大株主(12%)となった。
ベルギーによる初期投資(47億ユーロ)とおそらくルクセンブルクによる投資(25億ユーロ)およびオランダの銀行業務に支払われた価格(128億ユーロ)はフォルティス銀行SA/NVに留まり、保険会社のために受け取った金額(オランダから40億ユーロ、BNPパリバから57.3ユーロ)はフォルティス・グループに行くことになった。
ポートフォリオの66%の株式を支払い、負債(ABNアムロの償却を含む)を支払った後、フォルティスグループに残る現金総額は約1億ユーロである。
デ・タイド紙は、10月4日土曜日にフォルティスとベルギー政府が別々に緊急会議を開いたと報じている。
フォルティスは、残った会社が何をできるかを再計算し、年間17億から20億ユーロの利益をあげられると見積もった。
政府に有利になるように、その旨のプレゼンテーションがまとめられた(実際には公開されなかった)。
一方、政府はBNPパリバへの売却に注力した。
政府の考えの大きな要因は、ベルギーがオランダに負けたこと、ベルギーが会社の腐敗した部分を残してしまったことなど、マスコミが騒ぎ立てたことが背景にあった。
このことが敗北主義の雰囲気を生み、政府はただ混乱から逃れたい思考が働いたようだ。
そのため、BNPパリバとの交渉はスムーズには進まなかった。
フランス側としては、銀行部分だけが欲しいのであり、
リスクの高い「有毒」な仕組み商品
には一切関わりたくないと断固として主張した。
また、銀行を安く手に入れたいとも考えていた。
最終的に政府は屈し、フォルティス・グループに「有害な」構造化商品を処理させることに同意した。
結局、フォルティスが問題を引き起こしたことになる。
政府は銀行本体のみをBNPパリバに売却した。
政府は銀行の評価額をいくらか引き上げることには成功した(総額110億ユーロ、銀行に払い込まれた現金を考慮すると、実際の銀行業務では依然として数十億のマイナス価値となる)。ま
た、保険会社に対しても若干の有利な価格を得ることに成功した。
オランダとベルギーの株主協会は
買収の見直し
を要求した。
オランダの法律では、企業またはその子会社における大きな変更には株主の承認が必要であったためだ。
フォルティスのウェブサイトによると、フォルティス銀行は10月5日から12月中旬までベルギー政府の100%所有となり、その時点でBNPパリバとの株式交換が行われる。
しかし、BNPパリバはそれを見越してすでに大規模な広告キャンペーンを開始していた。
10月6日、ベルギーの金融サービス規制当局であるCBFAは、フォルティス株の取引を一時停止し、フォルティスが保有する残りの資産に関する十分な情報を公開した後に取引再開の許可を与えると発表した。
10月6日時点でフォルティス・グループに残っていたのは、評価額が10億〜20億ユーロのフォルティス・インシュアランス・インターナショナルと、ベルギー政府がまとめたポートフォリオでフォルティスがベルギー政府から購入した66%の株式(後に明らかになったように、ベルギー政府から融資された現金で支払われた)だった。
10月14日、フォルティスはプレスリリースを発表し、104億ユーロの現金残高は構成銘柄が抱える95億ユーロの負債を返済するのに十分であり、さらに1億2500万株が発行されたと述べた。
フォルティス株の取引は同日午前11時に再開され、2ユーロで始まり、1.21ユーロで終了した(前日終値から77.77%の下落)。
2008年11月14日に発表されたデータ(12月1日と2日の臨時株主総会向け)によると、フォルティスは部品の売却で246億ユーロ(1株あたり約10ユーロ)の損失を計上した。
フォルティス・グループの株主資本は10月31日時点で35億ユーロ(1株あたり1.5ユーロ未満)に減少したとされている。
11月15日、ベルギーの新聞「デ・スタンダール」は、BNPパリバが10月8日に交渉を再開し、
合意価格の引き下げ
を要求したと報じた。
その理由は、フォルティス・グループとフォルティス銀行の間に
既存の転換社債ローン
があったためである。
結局、ベルギー政府はフォルティス・グループに30億ユーロを融資し、その見返りとして、フォルティス・グループに売却したばかりのポートフォリオの証券を取得した。
これが株式取引停止の理由だったようだが、フォルティス・グループもベルギー政府も、11月15日以前のいかなる時点でも、何が起こっているのか、またこれが保有資産の価値にどのような影響を与えたのかについて報道していなかった。
報道を受けて、ベルギーの政治家たちは、政府が詳細を明らかにした。
銀行支援の混乱の中でメディアが問題点を取り上げなかったと指摘し、
詐欺の責任
はフォルティス・グループにあると主張した。
12月10日には、フォルティス銀行によるフォルティス銀行ネダーランドへの融資が買収後にオランダ政府に引き継がれたため、さらなる再交渉が行われたと報じられた。
この結果、支払われる利息が減り、この「ボーナス」が誰のものかという意見の相違が生じた。
これは1株あたり0.25ユーロ(当時の株価は0.71ユーロ)に相当し、フォルティスの持ち株に何らかの影響を及ぼした。
10月12日、ベルギー政府は長期の小株主に補償する
「クーポン42」
と名付けられた計画を発表した。
ベルギー政府が得た利益は特別基金に積み立てられ、2014年に支払われる予定だった。
受益者は、10月3日時点で株式を保有し、これを申請したEU市民またはベルギー居住者である自然人という条件であった。。
1株当たり支払われる最高額は10ユーロ(7月1日の株価)から取引再開後の5日間の株価の平均を差し引いた額(最大で9ユーロ弱に減額)となる。
これは、1人あたり最大5000株まで支払われ、7月1日から10月3日まで継続して保有している株に対してのみ支払われ、それ以降は必ずしも支払われないというものであった。
このファンドは、BNPパリバの株式および受け取った配当金の総額から初期投資額(94億ユーロ、年間累積利息6.1%)と、ベルギー政府が保有するストラクチャード商品のポートフォリオの24%の部分で生じた損失を差し引いた金額を保有することになる。
12月2日、国務院は、この計画はすべての株主を平等に扱っておらず、不平等の理由も十分に説明されていないため、違憲である可能性が高いと勧告したことが明らかになった。
12月10日、デ・タイド紙は、ベルギー政府が特別基金を設立せず、基金に入る予定だった資金をすべてフォルティス・ホールディングスに直接投入することを検討していると報じた。
これにより、10月3日時点で最大5000株を保有していた人ではなく、実際に株式を保有している人(株数に関係なく)が恩恵を受けることになる(同日、株価は13.5%上昇し、0.82ユーロで取引を終えた)。
翌日の株価は、日中1.14ユーロに達した後、15%上昇して0.94ユーロで取引を終えた。
12月20日土曜日、デ・スタンダールト紙は、裁判所がモドリカメン氏の通信先住所の策略を禁じたにもかかわらず、政府が危機に瀕している間は「第三者」による行動によるフォローアップはないだろうと報じた。
12月22日月曜日、BNPパリバのCEOプロト氏はレゼコー紙のインタビューで、フォルティス銀行の価値は10月10日以来上がっていないため、フォルティスの株主は既に得た買収額以上の買収額を期待すべきではないと述べた。
他の情報筋は、BNPパリバの業績が悪く、その日の株価は30ユーロの上限を下回り、市場はBNPパリバがフォルティス銀行の買収で資本基盤を強化できない場合は別の資金源から資金を調達する必要があると想定したと指摘している。
12月24日水曜日、フォルティスは3億ユーロの損失を発表するプレスリリースを出した。
同社は、ストラクチャードクレジットのポートフォリオに関する取引のために、裁判所の否定的な判決を見越して、米国通貨と英国通貨を購入していた。
裁判所が行動を決定したとき、ポートフォリオはもはやフォルティスの関心事ではなく、同社は12月12日に通貨を損失で再売却した。その結果、現金残高はそれに応じて減少し、プロフォーマ純資産は報告された67億ユーロから64億ユーロに減少した。
株価は下落し、魔法の1ユーロ水準を下回り、再びペニー株となり、その日の終値は0.95ユーロとなった。
1月13日、ラ・トリビューン紙は、BNPパリバがフォルティス・インシュアランス・ベルギーに対する買収提案の撤回を検討していると報じた。 その日、ベルギー政府がフォルティス・ホールディングスの株式を2.5対3ユーロで買収提案することを検討しているという噂が流れ、これを受けて株価は急騰し、日中最高値の1.68ユーロを記録した。
ただ、この噂はすぐに否定された。
同日、フォルティスは前日のヘット・フィナンシエール・ダーグブラッド紙の報道を認め、2月に2回の株主総会が開催されるが、売却の投票はブリュッセルでの株主総会でのみ認められるという内容だった。
これは、ベルギーの法律の下でのみ、これを要求する裁判所の判決が出ているためである。
これに対し、ユーロ株主はこの決定をアムステルダムの裁判所に訴えた。
1月14日、フォルティス銀行は2006年以来ドイツで展開してきたフォルティス・フィナンツの90店舗を閉鎖すると発表した。
2018年7月13日、アムステルダム控訴裁判所(Gerechtshof Amsterdam)は、オランダの集団的請求解決法(Wet Collectieve Afwikkeling van Massaschade)またはWCAMの権限に基づき、旧フォルティス(現Ageas )の株主を代表して主張された13億ユーロの集団的請求和解を承認した。
2018年12月20日、検察は7人の元取締役に対する訴訟を取り下げることを決定した。
検察は、彼らが過度に楽観的な会社情報で株主を故意に誤解させたという証拠が不十分であると主張した。
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