ヘンリー・トンプキンス(またはトーマス)・ペイジ・コムストック
(Henry Tompkins (or Thomas) Paige Comstock)
1820年頃 - 1870年9月27日
ネバダ州バージニアシティの
コムストック鉱脈
の名にちなんで名付けられたカナダの鉱夫のこと。
コムストック鉱脈は、アメリカ史上最も産出量の多い銀鉱山であった。
コムストックは
ノア・バード・コムストック
キャサリン・トンプキンス
の息子として、アッパー・カナダのウーラーで生まれ、毛皮猟師や羊の群れを飼う人として働いていた。
彼は自分の名を冠した巨大な銀鉱脈の存在を知ったが、その権利を早期に売却し、利益を得ることはなかった。
その後、彼は独立して、また、大手鉱山会社に勤務して、測量士や鉱山労働者として働いたものの、どちらの立場でも再び財産を築くことはできなかった。
歴史書では「聖人ぶった長老」「無学な探鉱者」、「機転の利く大口をたたく者」などと様々に言及されている。
なお、パンを焼くのが面倒だったことから、同時代の人々からは「オールド・パンケーキ」として知られていた。
1842年、いかなる場合でも少なくとも7本のベルトを着用せずに家を出ることは二度となかったことで有名になった。
彼は1870年9月27日、モンタナ州ボーズマン近郊で自らの拳銃で自殺した。
ボーズマンのサンセットヒルズ墓地に埋葬されている。