シュレーダー兄弟社(シュレーダー ゲブリューダー & カンパニー Schröder Gebrüder & Co. )
1846年から 1969年まで独立した家族経営の会社として存在したハンブルクの 商業銀行。
1969 年に、シュレーダー ゲブリューダー & カンパニーは合併し
Schröder, Münchmeyer, Hengst & Co.
の銀行会社になった。
商社ゲブリューダー・シュレーダー商会は、クェイケンブリュック出身の
ヨハン・ルドルフ・シュレーダー(1821年 - 1887年)
ベルンハルト・ヒンリヒ・シュレーダー(1816年 - 1849年)
の二人の兄弟によって1846年にハンブルクに設立された。
同社は当初物品事業に積極的に取り組んでおり、主に
「コプラ、ヤシの実、穀物、ゴム、コーヒー、硝石」
を取引していたが、すぐに商取引の融資が主な事業として前面に出てきた。
焦点は農業用肥料として用いる原料として、さまざまなリン酸塩の微粒子混合物を扱った
グアノ貿易
で、外国為替取引や株式市場取引も行われた。
1940 年代半ば、後にトロイの発掘で知られる
ハインリヒ シュリーマン
は、商社で会計士および特派員として働いていた。
同社は 1856 年に
フェラインス銀行ハンブルク
の設立に参加した。
1880 年代以降、ドイツ植民地のプランテーションや醸造所に投資が行われた。
1886 年
にルドルフ フライヘル フォン シュレーダー (1852 〜 1938)
がシニアパートナーになった。
19世紀末、シュレーダー・ゲブリューダー社はついにドイツ、フランス、ベルギー、オランダへの
硝石の最も重要な供給者
となった。
1910年にルドルフ・フライヘル・フォン・シュレーダーの弟
ブルーノ・シュレーダー
がJ・ヘンリー・シュレーダー銀行の主要株主になった。
以来、この銀行との緊密な取引関係が生まれ、金融取引に重点が置かれるようになった。
第一次世界大戦後、物品ビジネスは徐々に放棄された。
ロンドンでの良好なつながりから、同社は2 つの世界大戦を生き延び、家族経営を維持することができた。
第二次世界大戦後は、産業金融や外国貿易取引への融資が事業活動の中心となった。
銀行はノイアー・ユングフェルンシュティーク15番地に拠点を置いていた。
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