2025年02月04日

ジョージ・ゲティ(George Getty) 弁護士で事業家 ゲッティ石油会社の創業者

ジョージ・フランクリン・ゲティ
       (George Franklin Getty )
   1855年10月17日 - 1930年5月31日
 米国の弁護士で石油産業の先駆者
 実業家J・ポール・ゲティの父であり、ゲティ家の家長であった。 
 ゲティは1855年、メリーランド州アレガニー郡で、
   マーサ・アン(ワイリー)
   ジョン・ゲティ(1835年 - 1861年)
の子として生まれた。
 ゲティはジェームズ・ゲティの息子、ジョン・ゲティの孫であった。
 ジョン・ゲティは長老派教会の アルスター・スコットランド人農民で、米国に移住した。
 なお、ペンシルベニア州ゲティスバーグの名のもととなった人物と血縁関係があると主張していたが、ロバート・レンツナーは著書『グレート・ゲティ』の中で、ゲティスバーグはゲティ家によって建設されたのであって、ゲティ自身によって建設されたのではないと書いている。

 ゲティの生誕後まもなく、ゲティの家族はメリーランド州からオハイオ州に転居した。
 そこで父親は1861年に亡くなった。
 そのため、ジョージは幼いころから働かざるを得なかったが、叔父の
   ジョセフ・ゲティ
が学費を工面してくれたことで、1879年、オハイオ・ノーザン大学で理学士号を取得した。

 ジョージ F. ゲティは最終的に結婚し、ミシガン大学ロースクールに通い、弁護士資格を取得した。
 1884 年、ゲティはミネソタ州ミネアポリスに移り、保険法と企業法を専門にした。
 いわゆる、アメリカの「小麦粉の首都」であったこの地で裕福な生活を送った。
 1890 年、最初の子供である娘が、街を襲った
   腸チフスの流行
で亡くなった。
 1892 年、ゲティ夫妻には後に「J. ポール ゲティ」として知られる息子の
が生まれた。
 1904年、ゲッティ家はミネソタ州からオクラホマ州に転居し、ジョージはそこで独立した石油業者としてのキャリアをスタートさせた。
 2年以内に、彼は所有していた
   ミネホマ石油会社(Minnehoma Oil Company)
で財産を築き、家族でカリフォルニア州ロサンゼルスに移住した。
 1913年、ジョージは息子のジャン・ポール(当時21歳)に油井への投資資金を貸した。
 1915年までにジャン・ポールは最初の100万ドルを稼ぎ、翌年、ジョージとジャン・ポールは
   ゲッティ石油会社(後にゲッティ石油となる)
を設立した。
 ジャン・ポールの「ライフスタイルを決して認めなかった」ジョージは会社を息子に単独で管理させなかった。
 ジョージ・F・ゲティは1930年に亡くなった。
 彼は、家族経営の会社「ジョージ・F・ゲティ社」の経営権という形で、1,000万〜1,500万米ドル(2024年時点でそれぞれ1億8,239万米ドルと2億7,359万米ドル)と評価される財産を妻のサラに遺贈した。
 しかし、ジャン・ポール・ゲティが会社の社長になった。
 
 ジャン・ポール・ゲティの長男で、ジョージ・フランクリン・ゲティの孫は、
   ジョージ・フランクリン・ゲティ2世(1924年 - 1973年)
と名付けられた。
 彼は、ロサンゼルス郡検視官が自殺の可能性ありと判断した死去まで、ゲティ石油会社の重役を務めていた。
 彼の邸宅であるゲティ・ハウスはその後市に寄贈され、現職ロサンゼルス市長の公邸となった。

   
posted by manekineco at 07:22| Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック