ジョセフ・R・ペレラ (Joseph R. Perella)
1941年9月20日生まれ
イタリア系米国人の投資家で1988年に、後に「M&Aの魔術師」との異名を持つようになる同僚の
とともに、ブティック銀行の
を設立した。
その後、1992年にモルガン・スタンレーにM&A部門の責任者として入社した。
機関投資家向け証券および投資銀行グループの会長に就任した。
2005年にモルガン・スタンレーを退社し、2006年に
ペレラ・ワインバーグ・パートナーズ
を設立した。
ペレラはニュージャージー州ニューアークで会計士の家庭に生まれた。
ペレラは全額奨学金を得てリーハイ大学に通った。
リーハイ在学中、ペレラは男子学生クラブ「ファイ・カッパ・シータ」のメンバーだった。
リーハイ大学2年生のあと、ペレラは数年間休学し、1964年に大学に戻って会計学の学位を取得して卒業した。
1964年から1970年まで米国空軍とニュージャージー州空軍州兵に勤務した。
その後、ハーバード・ビジネス・スクールに入学し、1972年5月に経営学修士号を取得して卒業した。
1972年秋、ファースト・ボストンにアソシエイトとして採用され、合併・買収部門で働いた。
彼は1988年までファースト・ボストンに在籍し、その後、同僚の
とチームを組み、
ワッサースタイン・ペレラ・アンド・カンパニー
として独自の合併・買収顧問会社を設立した。
彼らの会社は1980年代から90年代の
企業買収ブーム
の最前線に立ち、ペレラはフィナンシャル・タイムズ紙によって「1980年代に合併・買収を魅力的で儲かるビジネスに変えたことでウォール街で有名になった」と評された。
ジョセフ・ペレラは1992年から1993年にかけてワッサースタイン・ペレラを離れ、モルガン・スタンレーに入社した。
同行ではまず
合併・買収部門の責任者
を務め、その後は機関投資家向け証券・投資銀行グループの会長を務めた。
2005年、ペレラと他のトップ幹部は、会長
フィリップ・J・パーセル
との方針の不一致で対立したことからモルガン・スタンレーを辞任した。
なお、パーセルも、モルガン・スタンレーからさらに幹部が退任した後、責任を取りすぐに辞任した。
ペレラがモルガン・スタンレーを退任後に助言した取引の1つは、バンク・オブ・アメリカによるクレジットカード会社
MBNA
の買収に関する助言だった。
2005年11月、ペレラと元モルガン・スタンレーの銀行家
テリー・メギッド(Terry Meguid)
は、投資銀行のブティックを開設すると発表した。
2006年6月15日、ペレラはニューヨークとロンドンに拠点を置く新しい金融サービス会社
ペレラ・ワインバーグ・パートナーズ
の設立を発表した。
ペレラはリーハイ大学の理事である。
2003年、彼と妻のエイミーは
ホジキン病
の生存者で、ビジネス経済学部に1000万ドルを寄付し、「ペレラ財務学部」といくつかの教員ポストを創設した。
また、ペレラが育ったニュージャージー州ニューアーク地域のリーハイ大学の学生のための奨学金基金も設立している。
また、ラウチビジネスセンターの建設も支援した。
さらに、夫婦はイェール大学に「エイミーとジョセフ・ペレラ医学教授」を創設した。
彼は全米イタリア系アメリカ人連盟のメンバーでもある。
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