2026年02月02日

フィリップ・アマリ(Philip Amari)デカヴァルカンテ一家のメンバー

フィリップ・アマリ(Philip Amari)
   1899年12月15日ー1963年9月24日
 シチリア島アグリジェント県リベラで
   ジュゼッペ・アマリ
   カルメラ・トゥルンカーレ
の息子として生まれた。
 兄弟には兄のヴィンチェンツォ・アマリ(1897-1990)がおり、デカヴァルカンテ一家のメンバーだった。
 また、従兄弟の
   ジェイク・アマリ(1945-1997)
はデカヴァルカンテのボスだった。
 フィル・アマリは、ニュージャージー州エリザベスの他のグループメンバーと同様に、犯罪に関与したといった情報は当局には収集されていなかった。
 これは他のファミリーと比べて珍しいだけでなく、グループ内部でも特異なことだった。
 彼らは世間の目に触れない一般人というだけでなく、極めて孤立していた。
 デカヴァルカンテの録音テープの中で、レイはメンバーを5人しか知らなかったと述べている。
 当時、彼はニュージャージー州ユニオン郡に約40年間関わっていたことを考えると、これは驚くべきことと言える。
 ルイス・ララッソは誇らしげに「彼らは私たちの家族が誰なのか決して知ることはないだろう。絶対に!私が教えなければ、通りで彼らとすれ違っても知らないだろう。」と述べている。
 これらの2つの要因により、デカヴァルカンテ・ファミリーの初期(デルモア以前の)についてはほとんど何も知られていない。
 彼は合法な事業の経営者で運送会社を経営していた。
 部外者も他のマフィアも彼がメンバーであることをあまり知られておらず、彼のビジネスに影響はなかった。
 1921年2月9日にニュージャージー州エリザベス、サウスストリート615番地に住む叔父
   ジュゼッペ・グッデン
のもとへ移住した。
 1924年3月9日に米国に帰化し、ニュージャージー州エリザベス、ジョンストリート316番地に居住した。
 1926年4月18日にシチリア島アグリジェント県カニカッティ出身の
   ジャチント・マサポリ
   コンチェッタ・ディマイラ
の子としてニューヨーク州で生まれた
   メアリー・マサポリ(19歳)
と結婚した。
 1930年の国勢調査では妻と子供たちと共にニュージャージー州エリザベス、ジョン通り228番地に居住していた。
 1940年の国勢調査では妻、母、子供たちと共にニュージャージー州エリザベス、ナイルズ通り534番地に居住していた。
 1942年に第二次世界大戦に米軍から徴兵された。
 1948年11月18日に 妻とデカヴァルカンテ一家の構成員
   ピート・ガレッタ
の家族と共にイタリアから帰国し、ニュージャージー州エリザベス、ファーストアベニュー648番地に居住した。
 1954年6月24日にニュージャージー州プレインフィールドの不動産をデカヴァルカンテのメンバー
   エマニュエル・リッギ
に売却した。
 1957年11月14日に政府捜査機関による急襲をうけたアパラチン会議で特定された。
 退任後、ニック・デルモアが後任に就任した。
 1963年9月24日に娘のコンチェッタの家で休暇中に病死した。
 コンチェッタは、シカゴ・アウトフィットのメンバー
   アンソニー・ピネリ(Anthony Pinelli
の息子、サルヴァトーレ・ピネリと結婚していた。
   
   
posted by manekineco at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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