2026年01月18日

スカルフォ・リコベネ戦争(Scarfo-Riccobene War)

スカルフォ・リコベネ戦争(Scarfo-Riccobene War)
 スカルフォ・リッコベーネ戦争は、フィラデルフィア・マフィアのボス
と前ボスののハリー・リッコベーネの間で1982年から1983年にかけて続いたマフィア抗争でのこと。
 フィラデルフィア一家のボス
の支配下にあった時代は、フィラデルフィアの裏社会が平穏だった時代だった。
 しかし、1980年3月ボスの権力奪取を狙う内部権力闘争で暗殺された。
 ブルーノの忠実な友人の
がボスとして後を継いだが、ブルーノ殺害から1年も経たないうちに、テスタスカルフォによると見られる
   1981年に釘爆弾の爆発
で殺害され、組織内の支配権をめぐる内部抗争が始まり一家の安定は徐々に失われた。
 その後、他のファミリーの支援を受けたスカルフォが権力を握ったものの、ブルーノの忠実な部下
スカルフォに敬意を表して頭を下げることを拒否し反旗を翻そうとした。
 スカルフォは力を見せつけるため、リッコベーネと兄弟、そして他のすべての忠誠者を殺害するよう命じた。

 期間 1982年5月13日〜1983年12月6日
 場所 米国ペンシルベニア州フィラデルフィア
 挑発 リッコベネ派の反乱
 結果 スカルフォの勝利
 戦闘員
◯スカルフォ派
 指揮官 
  ニコデモ・スカルフォ(Nicodemo Scarfo)
 ・チャッキー・メルリノ(Chuckie Merlino)
 ・フランク・モンテ (Frank Monte)
 ・フィル・レオネッティ(Phil Leonetti)
 ・サルヴァトーレ・テスタ(Salvatore Testa)
 ・フランシス・イアナレラ(Francis Iannarella)
 ・パット・スピリト(Pat Spirito) 
◯リコベネ派
 指揮官 
  ハリー・リッコベネ(Harry Riccobene)
 ・ロバート・リコベネ (Robert Riccobene)
 ・マリオ・リッコベネ(Mario Riccobene)
 ・ジョセフ・ペドゥラ(Joseph Pedulla)
 ・ビクター・デルーカ(Victor DeLuca)

   ロバート・リコベネ
   マリオ・リコベネ
は、南フィラデルフィアで独自のマフィア組織を率いていた。
 彼らはフィラデルフィア・マフィアに敬意を表しつつも、ほぼ独立して活動していた。
 リッコベネはボスの
に敬意を表する一方で、ファミリーの直属の管轄下には置かないという約束をしていた。
 ただ、ブルーノは1980年3月に殺害され、後継者の
も1981年3月に自宅の玄関ポーチの下で釘爆弾に刺されて殺害された。
 テスタの副ボスのひとり
がファミリーの権力を握った。
 スカルフォは、前任者たちよりも暴力的で冷酷なマフィアのボスとなり、フィラデルフィアのあらゆる違法組織に対して街頭税を課した。
 リコベーネ一味もその対象となったが、当初は拒否されてしまった。
 支配範囲からの反発が起きたことで「差し迫った脅威」を感じ取ったスカルフォは、顧問の
にマリオ・リコベーネに近づき、仲間に加わるよう申し出るよう指示した。
 マリオは申し出を検討するふりをした後、
   スカルフォの陰謀
を弟(ハリー・リッコベネ)に連絡しリコベーネ一味は
   戦争の準備
を整えていった。
 この戦争の最初の犠牲者は、スカルフォの使者
であった。
 彼は1982年5月13日、フィラデルフィア南西部のガソリンスタンドの外で、リコベーネの手下
   ジョセフ・ペドゥラ
に襲撃され射殺された。
 なお、この戦争中、スカルフォ自身はテキサス州アンソニーの
   ラ・トゥーナ連邦刑務所
で銃器所持の罪で2年の刑に服しており、暗殺されることも少ない安全な刑務所から部下に命令を伝えていた。
 間もなくスカルフォ派が報復し、
は1982年6月8日、電話ボックスの中でガールフレンドと話していたところ、スカルフォのガンマン
   サルバトーレ・グランデ
に撃たれた。
 ただ、身長5フィートのリッコベネは胸への銃弾があったものの生き残り、グランデの銃を奪い取り、逃げるグランデに向けて発砲しようとしたが、弾薬はすでに空だった。
 リコベーネ一家を追跡していた中心人物は、スカルフォの弟子で
の息子の
だった。
 なお、サルバトーレは、1982年7月31日、フィラデルフィアのイタリアンマーケットの外でリッコベーネの暗殺チームに左腕を撃たれて負傷しており、
   パット・スピリト
   ニコラス・カラマンディ
   チャールズ・イアニス
からなる暗殺チームを率いていた。
 1982年8月21日、リッコベーネ暗殺未遂事件と似たような事件が起きた。
 サルバトーレ・グランデの弟
   ジョセフ・グランデ
が車内にたリッコベーネを狙撃したが、リッコベーネは運転席にしゃがみ込んで生き延びた。
 最終的にスカルフォは、スピリトがライバルを始末したがらない様子に嫌気がさして、スピリト自身の殺害を命じた。
 1983年4月29日、リッコベーネを張り込んでいた
   カラマンディ
は、スピリトの頭を後頭部から撃ち抜いて殺害しようとした。
 そのため、スピリトは相棒のイアニスと共に現場から逃走した。
 戦争末期には、スカルフォは刑務所から殺害対象者約10名のリストを抜粋した。
 その中にはリッコベーネ支持者の
   フランク・マルティネス
も含まれていた。
 1983年10月14日、リッコベーネが車で仕事に向かおうとしているところを
   トーマス・デルジョルノ
が発見し、
   チャールズ・イアニス
   ユージン・ミラノ
が待ち伏せしたうえ複数回発砲したが、リッコベーネは生き延びた。
 1983年11月3日、ニコラス・ミラノとフィリップ・ナルドゥッチが
   サルヴァトーレ・タンブリーノ
を雑貨店で殺害した。
 この1か月後の1983年12月6日、
   イアンネセ、
   フランシス・イアンナレッラ
   ジョセフ・プンギトーレ
が、フィラデルフィア南西部の自宅の外を年老いた母親と散歩していた
   ロバート・リッコベーネ
に襲いかかったため、リッコベーネはフェンスを突き破って逃げようとしたものの飛び越えられず、イアンナレッラが後頭部を撃たれ殺害された。
 スカルフォ・リッコベーネ抗争は終結した。
 この抗争は犯罪一家に永続的な影響を及ぼし、リッコベーネの甥の
   エンリコ
は、1983年12月14日、外に
   テスタ
   フィル・レオネッティ
   ローレンス・メルリーノ
がいるのに気づき、自分の宝石店の中で銃で自殺した。
 リコベーネ自身と残りの支持者たちは1984年3月の流血事件に関連した容疑で逮捕され、終身刑を宣告された。
 なお、敵対するリコベーネらが収監されたため、反抗する勢力がなくなりスカルフォが引き続き組織を支配し続けることになった。

     
posted by manekineco at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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