延命水掛地蔵尊
知多市大草字の「大草 地蔵寺」のご本尊
天平年間に行基が開山したと伝えられる真言宗智山派の古刹で一般的には
大草地蔵寺
と呼ばれています。
正式名称は「摩尼山 地蔵寺」です。
愛知県知多市大草字東屋敷43‐1にあり、知多四国七十番札所となっている。
本堂(客殿・大師堂)の中央には真言密教の開祖
弘法大師
が祀られてい。
ご本尊は地蔵菩薩で、太子堂の西隣にこじんまりした大日堂がある。
此処に祀られている大日如来坐像は、説に鎌倉時代の作で知多市指定文化財とのこと。
なお、この寺には、享保年間(1716〜1736)の云われから井戸から上がった
延命水掛地蔵尊
と呼ばれる地蔵さまが祀られている。
延命水掛地蔵尊縁起
本堂の裏には顔がつるつるの石のお地蔵さんがみえます。
このお地蔵さまは昔から眼病または様々な病を治すと言われ多くの崇敬を集めています。
このお地蔵さまは「江戸の中期に久米村(今の愛知県常滑市の久米)に住んでいた盲目のお竹さんという女の人がおり、ある日お竹さんの夢のなかにお地蔵さまが現れました。
お地蔵さまは「我は竹林の井戸におちている地蔵である。汝、我を助け出して井戸を改修するならば盲眼必ず開かん」と夢枕でお告げがありました。
早速お竹さんは井戸からお地蔵さんを拾い上げ、朽ちかけた井戸を改修し地蔵を清水で洗い七日七夜参籠したところ。翌朝、目が開いたとの伝承があります。この評判はただちに広まり近郷からのお参りが絶えなくなったとのことです。
今でもその信仰が残っており、お地蔵さんに水を掛けて自分の痛いところと同じところをなでると治ると広まり「延命水掛地蔵」と言われるようになりました。
なお、本堂裏には、赤いよだれかけに風車を持った2350体もの子安水子地蔵が祀られている。
お寺の隣は大草公園があり、幻の城とも呼ばれる大草城の跡地です。
この大草城は天正2年(1574年)、尾張国知多郡を与えられた織田信秀の十一男
織田 長益(おだ ながます)
が築城を途中で中止した幻の城跡となっています。
以降、長益は信長の長男・織田信忠の旗下にあったとされ、甲州征伐などに従軍している。
天正9年(1581年)の京都御馬揃えでは信忠・信雄・信包・信孝・津田信澄の後に続いている。
また、天正10年(1582年)の左義長での順は信忠・信雄・長益・信包となっている。
長益は有楽斎如庵(うらくさいじょあん、有樂齋如庵)と号し、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人として知られる。
長益系織田家嫡流初代でもある。
千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられ、後には自ら茶道有楽流を創始した。
千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられ、後には自ら茶道有楽流を創始した。
また、京都建仁寺の正伝院を再興し、ここに立てた茶室如庵は現在、国宝に指定されている。