2017年03月01日

伽耶院(がやいん) 山伏の寺


伽耶院(がやいん)

 兵庫県三木市にある天台系修験道の寺院で孝徳天皇の勅願寺として、645年に
   法道仙人
が開基したとされ、本尊は毘沙門天。山伏の寺として知られる。

 山号は大谷山(おおたにさん)。

 宗派は本山修験宗
 
 寺伝では大谿寺(だいけいじ)と開基以降称していたが、1681年に後西上皇の勅により仏陀伽耶に因む寺号、伽耶院と改めた。


   
   (出典:https://www.youtube.com/watch?v=CG8uKgmGb5A

  
 法道仙人は天竺(インド)から雲に乗って日本に飛来したとされる伝説的な人物。
 現在の兵庫県南部を中心に法道開基伝承をもつ寺院が点在する。
 なお、法道開基伝承をもつ他の寺院と同様、伽耶院についても草創の正確な時期や経緯については明確ではない。

 平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊舎をもち、花山法皇の行幸もあり、隆盛を極めた。

 安土桃山時代の羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、当山に別所長治方の陣が置かれたため兵火により伽藍を焼失。
 また1609年には失火により、城塞のような石垣を残して全山が灰燼に帰した。

 現存する堂塔は1610年以降の諸国大名の寄進によるもの。


 
   

   
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2017年02月27日

千光寺(せんこうじ) 越中真言の古刹


千光寺(せんこうじ)

 富山県砺波市にある真言宗の寺院で山号は芹谷山。

 大宝3年(703年)の開基で、安居寺(南砺市)とともに砺波地方でもっとも古い寺。
 越中真言の古刹として著名で多くの寺宝を保持、閻魔像を安置する寺としてもよく知られる。
 
 大宝3年(703年)天竺(インド)の僧
   法道円徳上人
の開基とされ、桓武朝以後7代に亘り皇室勅願所であった。

 上杉謙信侵攻の際に兵火にあい焼失したが豊臣秀吉の越中平定のとき、復興を命じ禁制朱印状(現存)を下した。
 その後、加賀藩の祈祷所となり寺領安堵された。

 元和4年(1618年)の火事で再度被災した。

 法道仙人は天竺(インド)の霊鷲山に住む五百時妙仙の一人。
 日本に中国から朝鮮半島経由で渡来したという伝説上の人物。

 法道開基の寺は北陸では能登の石動山や越後の米山、越中では砺波市の千光寺(真言宗)のほか、氷見市の大栄寺(浄土真宗)、上日寺(真言宗)、小矢部市の観音寺(真言宗)など。

 

    

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2017年02月19日

勝軍地蔵


 愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号
   愛宕権現
の本地仏であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏としている。

 飛鳥時代から奈良時代の呪術者で修験道の開祖
   役小角
が大宝年間に白山修験の開祖とされる
   泰澄
と山城国愛宕山に登ったとき、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、龍樹菩薩、富楼那尊者、毘沙門天、愛染明王を伴い大雷鳴とともに現れ、勝軍地蔵であったという伝承が残っている。

 また、敏達天皇の御代に百済王
   威徳王
から極めて高い
   二位達率(だっそつ)
という官位を与えられた倭系百済官僚の
   日羅
が勝軍地蔵を護持したとされる。

 さらに、平安時代前期の法相宗の僧で清水寺の
   延鎮
が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に
   坂上田村麻呂
の戦勝祈願を行ったことが記されている。

 ただ、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確ではない。
 密教での儀式の規則である
   儀軌
などは現存しておらず、『地蔵本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えらる。

 幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通しているが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在している。

  
 

  
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2017年02月18日

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

  
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
   
 仏教の信仰で菩薩の一尊。

 サンスクリット語ではクシティガルバと呼ばれる。
 クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味から「地蔵」としなった。
  
 大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられた。
 日本における民間信仰で
   道祖神
としての性格を持る「子供の守り神」として信じられている。
 そのため、よく子供が喜ぶ菓子が供えられることが多い。

一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。
  
  
 菩薩の居所は空居天である「兜率天」とされる。

 地蔵菩薩は地居天である忉利天で
   釈迦仏
の付属を受け、毎朝禅定に入りて
   衆生の機根(性格や教えを聞ける器)
を感じ、釈迦の入滅後、56億7000万年後に
   弥勒菩薩
が出現するまでの間、現世に仏が不在となるため、その間
   六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)
を輪廻する衆生を救うのが菩薩であるとされている。

 虚空蔵菩薩と地蔵菩薩が一対で安置される例は京都・広隆寺(講堂)などにある。
  
 
 地蔵さんは剃髪した声聞・比丘形(僧侶の姿)で白毫があり、袈裟を身にまとっている。
 装身具は身に着けないか、着けていても瓔珞(ネックレス)程度、左手に如意宝珠、右手に錫杖を持つ形、または左手に如意宝珠を持ち、右手は与願印(掌をこちらに向け、下へ垂らす)の印相をとる像が多い。

 なお、密教では
   胎蔵曼荼羅地蔵院
の主尊として、髪を高く結い上げ装身具を身に着けた通常の菩薩形に表されている。

 右手は右胸の前で日輪を持ち、左手は左腰に当てて幢幡を乗せた蓮華を持っている。


 
 

   
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2017年02月02日

菩薩(ぼさつ)


菩薩(ぼさつ)

 梵名ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva])

 仏教において一般的に成仏を求める修行者のことを指す。
 菩提薩埵ともいわれる。

 菩薩は、悟りを求めて、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象ともなっていった。
 
 sattvaとは「生きている者」の意味で衆生や有情と意訳された。

 菩薩という用語は仏教成立以前から存在したか否かについての定説はない。

 仏教成立以前から存在したとされる
   声聞や縁覚
とともに、修行段階を指し示すものとして用いられている。

 菩薩の意味は時代が下るにつれ
   波羅蜜行
に至らない修行者や、ついには在家信者も含めて衆生皆菩薩とする説が唱えられ拡大していった。


 
     
   
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2017年02月01日

六地蔵(ろくじぞう)


六地蔵(ろくじぞう)

 地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像が各地で見られる 
 全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとされる
   仏教の六道輪廻
の思想に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとすることから生まれたもの。

 なお、六地蔵の個々の名称については一定していない。
  
   
 六地蔵像は墓地の入口などに祀られ、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順で
   檀陀(だんだ)地蔵
   宝珠地蔵
   宝印地蔵
   持地地蔵
   除蓋障(じょがいしょう)地蔵
   日光地蔵
と称する場合と、それぞれを
   金剛願地蔵
   金剛宝地蔵
   金剛悲地蔵
   金剛幢地蔵
   放光王地蔵
   預天賀地蔵
と称する場合が多い。

 像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物とするが、持物と呼称は必ずしも統一されていない。

  中尊寺金色堂では、藤原清衡・基衡・秀衡の遺骸を納めた3つの仏壇のそれぞれに6体の地蔵像が安置されている。


 

   
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