2017年09月07日

巫蠱の獄


 武帝は晩年に
   江充
という者を信任し
   監察官
の役目を命じた。
 江充は権勢家や皇族であっても弾劾し、皇太子のことも弾劾した。

 江充は大官として権勢を振るうようになったが老いた第7代皇帝の武帝が亡き後も権力を独占し続けることを望んだ。

 江充がその地位を獲得するなかで遺恨があった皇太子が次の帝位に就くことを恐れ、これを除こうとして有力者、敵対者を次々と
   巫蠱(呪殺を行った)の嫌疑
で抹殺していった。

 丞相公孫賀がお尋ね者だった「大侠」と呼ばれる
   朱安世
を捕らえた。

 朱安世が丞相公孫賀に獄中から公孫敬声と陽石公主の密通や巫蠱により皇帝を呪っている事を告発した。
 巫蠱が明るみに出ると、江充は当時武帝が病床にあり、代替わりしたら遺恨のある今の皇太子に殺されることになると考え、武帝の病は巫蠱の呪いであると上奏した。
  

 武帝は江充を使者として取調べさせたところ、江充は
   胡の呪い師
を連れて呪いの人形を掘り当てさせ、地上に酒を撒いて
   儀式の証拠
を捏造したうえ、拷問にかけて自白を強要した。

 民はお互いに巫蠱であると誣告しあうようになり、吏はそのたびに大逆罪としたため、死者は数万人にも及んだという。

 江充は武帝が自分の近くに巫蠱を行っている者がいると疑うよう仕組み洗脳し、宮中が怪しいと述べた言質を利用し、後宮の夫人、皇后を取り調べたうえ、皇太子の宮殿で呪いの人形を掘り当てて見せた。

 当然濡れ衣であったため、追い詰められた皇太子は江充を捕らえたうえ「趙の下郎よ、お前の故郷の国王親子の関係を乱すのみでは足りず、我ら親子まで乱そうとするのか」と江充を罵って斬り殺した。

 しかし、この時皇太子は蜂起の際「武帝の病気が悪化し崩御した可能性もあり、これに伴い江充が反乱を起こした」と布告してしまった。

 このため、帝の死を偽ったかどで大逆罪に問われ、皇太子の軍は壊滅し、皇太子は敗走して自害し、9族皆殺しのうえ一族郎党も全て処刑された。
 その後、武帝は江充の偽りと皇太子の無実を知ったことから江充の三族を皆殺しにしたという。
  
 
 

      
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2017年09月06日

夏家店下層文化(かかてんかそうぶんか)


夏家店下層文化(かかてんかそうぶんか)

 中華人民共和国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃-紀元前2900年頃[1])に存在した新石器時代の
   紅山文化
から続く、紀元前2000年から紀元前1500年頃の現中国東北部、北西は内蒙古自治区東部のシラムレン川北岸から張家口にかけて、南東は河北省北部から遼寧省西部を中心とした文化のこと。


   
   

 内蒙古自治区赤峰市夏家店遺跡の下層を標式遺跡として、小河沿文化に続いていくもの。

 生活は農業を中心とした雑穀栽培で、他に牧畜、狩猟、漁労も行われた。

 遺跡からは豚、犬、羊、牛、鹿などが見つかった。

 多数の大規模集落が発見され、北東アジアの乾燥、寒冷化が進行した紀元前二千年紀後半以降から戦国時代や前後漢にかけての時期よりも人口密度が高かったと推定されている。

 石器、骨器、陶器も見出されており、他に少数の金、鉛、漆器、翡翠、銅器、青銅器も見つかっている。

 陶器は三足型、銅器・青銅器は耳輪型が多い。
 また、骨を使った卜占も行われていた。

 家は多くは円く、土と石で造られ集落は崖や急斜面近くに造られて攻撃への備えも考慮された防御施設も見られた。
 また、石壁が集落の周囲に立てられているものもある。

 土器・陶器や青銅器の様式などは殷(商)の物とよく似ているため、殷文化に属する人々が北東へ移住したか、逆に
   遼河文化
に属する人々が気候変動によって中原へ南下し殷文化を形成したと考えられている。

 同地域ではその後、乾燥化と寒冷化が進み牧畜を主な生産様式とする夏家店上層文化が広まった。

 研究者による内モンゴル自治区東部の
   渾善達克砂丘地帯
の堆積物の調査によれば、従来は過去100万年にわたって砂漠であったと考えられていた同地帯は12,000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれ、深い湖沼群や森林が存在したことが明らかになっている。
 この肥沃な地域が約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したという。

 このために約4,000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、のちの中国文化へと発達した可能性がある。
  
 
 

     
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2017年09月02日

バーナム効果(Barnum effect)


バーナム効果(Barnum effect)

 誰にでも該当するような
   曖昧で一般的な性格
をあらわす記述を
   自分だけに当てはまる性格
なものだと捉えてしまう心理学の現象のこと。
 
  
 1956年にアメリカ合衆国の心理学者
   ポール・ミール(P.E.Meehl)
が、興行師で有名な P・T・バーナムの
   "we've got something for everyone"
          (誰にでも当てはまる要点というものがある)
という言葉に因んで名付けたとされる。


 アメリカの心理学者
   バートラム・フォア(en:Bertram Forer)
の名をとってフォアラー効果(Forer effect)とも呼ばれている。  


ひとこと

 うぬぼれの類の話だ。
  

     
 

     
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2017年08月15日

カティプナン(Katipunan) スペインからの独立を目指した秘密組織


カティプナン(Katipunan)

 19世紀のフィリピンでスペインからの独立を目指して
   アンドレス・ボニファシオ
      (1863年11月30日 - 1897年5月10日)
らによって結成された秘密組織。
 
 カティプナンという名前は
   正式名称「Kataastaasang Kagalanggalangang Katipunan ng mga Anak ng Bayan」
    (母なる大地の息子たちと娘たちによるもっとも高貴にして敬愛されるべき会の意)
の短縮形で、「KKK」というシンボルマークでも知られる。

 カティプナンは知識階級が中心となりホセ・リサールによって作られた
   ラ・リガ・フィリピナ(フィリピン連盟)
の主要メンバーたちがスペイン官憲による逮捕後に、その一員でもあった
   アンドレス・ボニファシオ
によって創設された。

 「ラ・リガ・フィリピナ」は非暴力改革を志向したが、スペイン官憲の徹底的な弾圧を受けた。

 ボニファシオはこのようなやり方ではスペインの植民地支配からの独立は達成できないと考え、武力闘争路線に転換しカビテ州、バタンガス州、ブラカン州、ヌエバ・エシハ州などのタガログ諸州にまで支部を拡大。

 1896年にカティプナンによるフィリピン独立闘争(フィリピン独立革命)を開始した。

 スペイン官憲はこれを機にホセ・リサールを逮捕、銃殺した。

 なお、リサール自身は武力闘争を志向したことはなかったが、カティプナンのメンバーたちから独立運動の思想的指導者として敬愛されており、意思を挫くための見せしめ的な意味があった。

 ただ、スペインの意図に反して、リサールの死は独立運動を活発化した。
 カティプネロスと呼ばれたメンバーたちは「ホセ・リサール万歳!」と叫んで戦いに身を投じた。

 独立闘争の中でやがてカティプナンは二つのグループに分裂し、対立した。

 1つはボニファシオに近い
   アルバレス将軍
が率いるマグディワン派であり、もう1つは
   エミリオ・アギナルド将軍
の兄弟バルトロメオ率いるマグダロ派であった。

 この状態を解決すべく開かれたテヘロス会議においてボニファシオはカティプナンにおける主導権を喪失した。

 マグダロ派のメンバーが学問のないボニファシオの指導力に疑問を呈した際、ボニファシオは会議を放棄
   議決の無効
を宣言したことが背景にある。
 その後、ボニファシオはカティプナンの指導権を掌握したアギナルド将軍の指示で逮捕され、1897年5月10日に粛清された。

 アギナルド将軍は1897年の
   ビアクナバト協定
においてスペイン政府と休戦協定を結び、他のメンバーと共に香港へ去った。

 その後、和平協定は長持ちせず、フィリピンは再び騒乱状態に陥った。

 アギナルドは
   米西戦争
の勃発を受け、アメリカ合衆国がフィリピン独立運動を支持してくれると信じてフィリピンへ戻った。

 アギナルドは、1898年6月12日にマニラでフィリピンの独立を宣言した。

 しかし、独立の約束は反故にされアギナルドたちの夢はすぐに打ち壊された。
 アメリカ合衆国が領土欲しさの本心をあらわにしたパリ講和会議でフィリピン代表団が出席を拒否された。
 そこでアギナルドはフィリピンがスペインからアメリカ合衆国へ2000万ドルで割譲されたことを知った。

 怒ったアギナルドらはすぐさまアメリカに対する独立闘争を開始した。

 抵抗空しくイサベラ州パラナンでアギナルドが捕らえられ、全カティプナンメンバーへの闘争の停止と降伏の呼びかけを行わされた。

 アギナルドの呼びかけにメンバーたちは次々に降伏しカティプナンの歴史は終焉した。
 日本軍が米軍をフィリッピンから駆逐し、米軍との激烈な戦闘で米銀の軍地的な戦力をある程度破壊したことなどによりフィリピンの真の独立は1946年を待つまで不可能だった。


   
 

    
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2017年06月17日

如来 (にょらい)


如来 (にょらい)
 仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。
 大乗仏教における諸仏の尊称で如去とも呼ばれる。

 元になったサンスクリット語ではतथागत(tathāgata タターガタ)であり、「如 (tathā タター) 」の後に来る語を「去れる (gata ガタ) 」とするか「来れる (āgata アーガタ) 」とするかで如去、如来と漢訳し分けられている。

 音写としては多陀阿伽陀(ただあがだ)がある。 
   
  
   
 

   
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2017年06月14日

過去七仏(かこしちぶつ)


過去七仏(かこしちぶつ)

 釈迦仏までに(釈迦を含めて)登場した7人の仏陀のことで古い順から
    毘婆尸仏
    尸棄仏
    毘舎浮仏
    倶留孫仏
    倶那含牟尼仏
    迦葉仏
    釈迦仏
の7仏がおり、いわゆる過去仏信仰の代表的な例であり、過去未来現在の三世に渡ってそれぞれに千人の仏が出現すると説かれている。
 前三仏は過去荘厳劫の千仏のうち最後の三仏、後四仏は現在賢劫の千仏のうち最初の四仏といわれる。

 仏教では、釈迦仏が仏教という大宗教を成したのは単に釈迦一代のみの事業ではなく、過去においてすでに成道し、成仏した
   前世の功徳
が累積した結果であるとの教えがある。

 この考え方は古く紀元前後に建立されたインド・マディヤ・プラデーシュ州のバールフットの欄楯(レリーフ)に、七仏造樹の浮彫が残されている。

 また仏教では一般的に、釈迦の弟子のひとりである
   提婆達多(だいばだった)
は釈迦仏に違背し逆罪を犯した大悪人とされている。

 後年における提婆達多派の教団では、提婆達多の遺訓を尊び、独自の戒律を定めて、釈迦を除く過去の6仏を信仰していた。

 近年の研究では、提婆達多は戒律をより厳しくするなどを釈迦仏に進言したものの、これが受け入れられなかったことから、釈迦教団から分派した。

 古代インドの釈迦在世の当時に、既に過去に仏が出世したことがあるとする、過去仏信仰があったことが理解できている。


 
 

    
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2017年02月18日

奇門遁甲(きもんとんこう)


奇門遁甲(きもんとんこう)

 中国の占術で「六壬式」「太乙式」と合わせて「三式」の一つ。
 また、遁甲式(とんこうしき)とも呼ばれる。

 奇門遁甲の創始伝説によると黄帝が蚩尤と戦っていた時に天帝から授けられたとされる。
 蚩尤は獣身で銅の頭に鉄の額を持ち、また四目六臂で人の身体に牛の頭と蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。

 奇門遁甲を解説した詩賦である
   煙波釣叟賦
では周の呂尚や前漢の張良によって作盤方法の整理が行われたとされている。

 三国時代の蜀の
   諸葛亮
なども用いたとされる。

 清朝の官僚
   紀ホ
の『閲微草堂筆記』によれば、奇門遁甲の真伝は単なる占術ではなく
   呪術の要素
も含んでいたという。

 二十四節気や干支から算出される遁甲局数を基にして遁甲盤を作成して占う。
 このとき奇門遁甲用の式盤を使用し、遁甲盤の構成要素の一つである八門を重要視することから
   八門遁甲(はちもんとんこう)
とも呼ばれている。

 奇門遁甲について解説した最古の文献は、中国唐代に
   李筌
によって編纂された張良の口訣を伝えるとされる『陰符経註』がある。

 時刻の呼び方は「夜半」「鶏鳴」といった十二時辰が採用されている。


 

    
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2017年02月01日

如来 (にょらい) 仏教で釈迦を指す名称


如来 (にょらい)

 仏教で釈迦(仏陀)の10種の称号のひとつ。
 あるいは、大乗仏教における諸仏の尊称で、如去とも呼ばれる。

 元語のサンスクリット語はतथागत(tathāgata タターガタ)で「如 (tathā タター) 」の後に来る語を「去れる (gata ガタ) 」とするか「来れる (āgata アーガタ) 」とするかで如去、如来と漢訳し分けられた。

 音写として多陀阿伽陀(ただあがだ)がある。


 
 

     
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