2019年02月23日

内政干渉


 
 イタリア外務省は20日、北朝鮮の駐イタリア大使代理だった北朝鮮の外交官
   チョ・ソンギル氏
が昨年からローマで行方不明となっている問題を巡り、大使代理の娘が本国に送還されていたことを確認した。

 ソンギル氏は昨年11月、妻と共に大使館を出た後、行方が分からなくなっている。
 韓国メディアは、チョ氏が西側の国への亡命を求めていると報じていた。
  
 
 イタリア外務省によると、北朝鮮は12月5日にイタリア外務省に対し、チョ氏が11月10日に妻と共に大使館を後にしたことを受け、14日に娘を本国に送還したと通知した。
 
  2016年に脱北した
   太永浩(テ・ヨンホ)元駐英公使
は今週ソウルで記者団に対し、チョ氏がローマの大使館を抜け出す際に娘を連れて行くことができなかったと語った。
 
 さらに、北朝鮮が間もなくチョ氏の娘を平壌に送還したとする北朝鮮の情報筋から入手した情報を明らかにした。


 イタリア外務省の発表に先立ち
   ディステファーノ外務次官
はフェイスブックへの投稿で、チョ氏の娘がローマで連れ去られ、平壌に送還されたとの報道について、「事実が確認されれば、かつてない重大な問題」となり、この問題に関与したものは「責任を問われる」と言明した。
 同外務次官は、チョ氏の娘が北朝鮮で拷問を受けている恐れがあると警告し、イタリア政府は保護すべきだったと述べた。
 
   
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2019年02月16日

勲旧派(くんきゅうは)


勲旧派(くんきゅうは)

 李氏朝鮮朝における政治派閥の一つで士林派との対比で使われている。

 組織には貴族階級である大地主の両班が多く含まれており、1455年の第7代国王である世祖の擁立に功績があった勲臣と、その子孫達で構成されていた。

 これに対し、朱子学を修めた新興の科挙官僚である士林派は、中小の在地両班がその中核を占めた。
 士林派が経済的な安定で権力を侵食して力を確保していくなか脅威となったため、権力を殺ぐために大規模な粛清(士禍)が行われた。

 ただ、1567年の宣祖即位以降は士林派が再び積極的に登用されるようになった。
 このため、勲旧派は政治の舞台から粛清されて消えている。

 なお、高麗末期の李成桂擁立の功臣やその子孫を勲旧派に含んで呼ばれる場合もある。


    
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2019年02月09日

東人(とうじん 동인)


東人(とうじん 동인)

 李氏朝鮮時代の官僚の派閥の一つ。 
 中小の地主が基盤になっている新興官僚の一派「士林派」を源流とした組織。
 地主階級の両班が中心の「勲旧派」に対抗し。

 士林派が、1567年、李氏朝鮮時代の第14代国王宣祖の即位により士林派政権を樹立する事に成功した。
 その後、1575年に官職の任官権を巡り士林派の
   沈義謙
   金孝元
の両派による党内闘争が始まった。

 金孝元派の領袖が漢陽(ソウル)の東側に住んでいたので東人と呼ばれた。
 この党争は、朱子学の解釈の違いにまで及んだ。

 東人は、趙光祖の弟子の一人
   李滉(退渓)
の学説を支持する主理派(朱子学の中で、宇宙の成り立ちの根元の気と理の内、理を本質的なものとして考える学派)が多かった。
 これに相反する沈義謙派の事を西人と呼び区別した。

 東人と西人の対立が始まった当時の大司憲の李珥は、金孝元、沈義謙の双方を地方に追放したうえ、東人の領袖の座に鄭仁弘を据えた。

 1584年、李珥が亡くなると権益を広げるチャンスとなり本格的な党争が始まった。
 東人が多くの利権を確保して政権を掌握していたものの、西人から東人へ寝返った
   鄭汝立
の謀叛事件で宣祖に疑惑を持たれ、西人に政権を奪われることとなった。

 しかし、1591年に西人が世子冊封の問題で失脚すると東人が政権を奪い取った。
 東人は西人の大規模な粛清を始めたがその権益の分配の過程で、南人と北人に分裂していった。

   
   
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2019年02月05日

士禍(しか 사화)


士禍(しか 사화)

 李氏朝鮮時代における、士(官僚)に対する粛清(弾圧)のこと。
 「士林(士林派)の禍」の略語。
 
 大規模地主の両班が主体となっていた勲旧派や国王の親戚筋である外戚側からは「乱」と呼ばれていた。
 その後、権力を取り戻した士林派が被害者として
   「無実の人が被った災禍」
と主張したうえで「士林の禍」という表現を用いた。

 士林派が政治的優位となった宣祖時代からはそのまま士禍という言葉が使われた。
 当初は、勲旧派や外戚が新興勢力の士林派に対して行ったが、大規模な粛清で勲旧派や民衆なども巻き添えになった。
 なお、後には士林派同士の学閥、党派争いによる士禍も起こっている。

 大きな士禍としては暴君として知られる第10代国王燕山君時代、金宗直の書いた世祖の王位簒奪批判の書面を理由に、勲旧派が士林派を大量粛清した1498年の戊午士禍がある。
 また、燕山君時代の1504年には燕山君の生母・尹氏毒殺の件に絡んで士林派と勲旧派合わせて約50人を一斉処刑した甲子士禍がある。

 1506年には燕山君の暴虐的な行為を痛烈に批判した功臣や民衆らを燕山君自身の手で大量粛清・大量処刑した丙寅士禍。事件。
 
 第11代国王の中宗時代、1519年に士林派のリーダー的存在であった
   趙光祖
の性急な改革に対する反動が起こり、趙光祖一派を大規模に粛清した事件「己卯士禍」が起きている。

 
 第13代国王の明宗時代、1545年に明宗の外戚尹元衡(文定王后・尹氏の弟)らによる反対勢力の粛清として乙巳士禍がある。

 第20代国王の景宗時代、1721年 - 1722年に景宗暗殺嫌疑による少論派による老論派粛清事件「辛壬士禍(辛丑・壬寅の獄)」がある。

 第21代国王の英祖時代、1762年に羅景彦の死刑および思悼世子(荘献世子)の餓死事件「壬午士禍(壬午の獄)」がある。

   
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2019年02月02日

李氏朝鮮(이씨조선)


李氏朝鮮(이씨조선)

 1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家で略称は李朝(りちょう)と呼ばれる。
 李朝は歴史の順番によって高麗の次の王朝で朝鮮半島における最後の統一国家でもあった。

 女真族を出身とする高麗の武将
   李成桂太祖
が1392年に恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。

 李成桂は翌1393年に中国の明朝の力を頼み
   権知朝鮮国事
に封ぜられた。

 朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたもの。
 明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは三代目の太宗の治世の1401年であった。

 なお、中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の
   冊封体制下
にあった。

 李氏朝鮮では東人派や西人派、老論派、南人派など党派対立が激しく、政権交代は対立する派閥の
   虚偽の謀反
を王に通報といった形で無実の者が粛清という形で9族皆殺しといった処刑が繰り返さてるなど多くの獄事が起こった。

 1894年の日清戦争後に日本と清国との間で締結した
   下関条約
によって李氏朝鮮は清王朝を中心とした冊封体制から離脱することが出来た。
 この後、近代国家としての形式的な独立や実質的な地位を得ることが出来た。

 李氏朝鮮は1897年に国号を
   大韓帝国
と改め、君主の号も皇帝とした。
 これ以後、中国の支配を脱出して日本の影響下に入った。

 大韓帝国の国家主権を維持するために生口などの朝貢をしてきた冊封体制下における清朝から日本へと影響を受ける主体が変化した。

 不凍港を求め領土を拡大してシベリア鉄道の敷設権益を強めていたロシア帝国は満州までの利権を確保し、朝鮮半島への進出を目論んで活発に活動を行っていた。

 1904年に締結された第一次日韓協約で日本人顧問が大韓帝国の政府機関に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管し、ロシア帝国に対する軍事的協力を必要とした。

 こうした過程を経て、開明派が画策した1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国が日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅し、義務教育の実施や衛生面の飛躍的な向上が見られ幼児の致死率が激減し人口増加が起きている。


     
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2018年12月20日

ズムウォルト級ミサイル駆逐艦



ズムウォルト級ミサイル駆逐艦( Zumwalt-class destroyer)
 
 米国海軍が取得を進めている高度なステルス性などの先進的な設計と強力な対地射撃能力を備えた新型ミサイル駆逐艦の艦級。
 当初は30隻以上の大量建造が計画されていたがコスト増などのため
   ナン・マッカーディー制度
により議会への報告で24隻に削減、次いで7隻に、最終的には3隻にまで予算削減された。
 
 この計画は、1980年代末にジョゼフ・メトカーフ3世中将が提唱した
   打撃巡洋艦構想
が起源。
 
 計画では徹底的なステルス化設計と大量のVLSの搭載を特色としており1990年代中盤に海軍作戦総長ジェレミー・ボーダ大将に
   アーセナル・シップ
として取り上げられ具現化した。 
 
 打撃巡洋艦構想では独立作戦能力が確保されていたがアーセナル・シップ構想ではIT化の乗員もセンサーも最低限にして索敵・測的・誘導などは戦術データ・リンクや共同交戦能力などを介して外部からもたらされる情報に依存するというものに変化した。
 1995年より、海軍の将来水上戦闘艦を開発するプロジェクトとしてSC-21(Surface Combatant for 21st Century)のコンセプト開発が開始された。
 アーセナル・シップ構想も海上射撃支援実証艦(MFSD)として組み込まれた。
 なお、空母保有数削減論につながることへの危惧などから、MFSD計画そのものは1997年11月に打ち切られた。
 SC-21ではオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート、スプルーアンス級駆逐艦、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の後継となる水上戦闘艦を構想しフリゲート・駆逐艦の後継となるDD-21と、巡洋艦の後継となるCG-21が開発される予定であった。


 ノースロップ・グラマン社が全体を支配しレイセオン社がシステム・インテグレータとなった。
 また、コスト上昇に伴い、建造予定数は、DD-21時代の32隻から、DD(X)では24隻、さらに8隻に削減された。

 2005年11月、海軍次官はフェーズIVでの2隻の先行建造を承認したもののCG(X)に向けての技術実証艦に留められた。
 以後の建造は行わず、駆逐艦の更新は既存のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の追加建造によって補う計画とされた。

 その後、2009年4月、1隻が追加された3隻で建造終了することが正式に決定された後、CG(X)も計画中止された。
 CG(X)はアーレイ・バーク級フライトIIIによって代替されることとなった。


     
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2018年10月16日

熊襲(くまそ)


熊襲(くまそ)
 
 九州南部に本拠地を構えヤマト王権に抵抗した日本の記紀神話に登場する人々のこと。
 
 古事記には熊曾と表記され、日本書紀には熊襲、筑前国風土記では球磨囎唹と表記されている。
 
 肥後国球磨郡(くまぐん 現熊本県人吉市周辺。球磨川上流域)から大隅国曽於郡(そおぐん。現鹿児島県霧島市周辺。現在の曽於市、曽於郡とは領域を異にする)に居住した部族で、5世紀ごろまでに大和朝廷へ臣従し、「隼人」として仕えたという説もある。
 
 なお、球磨地方と贈於地方の考古学的異質性から、熊襲の本拠は、都城地方や贈於地方のみであり、「クマ」は勇猛さを意味する美称であるとの説を唱える研究家もいる。
  
   


 

   

     
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2018年10月09日

三韓征伐(さんかんせいばつ)


  
 日本武尊命の息子で第14代天皇
   仲哀天皇
の皇后
   神功皇后(じんぐうこうごう)
が新羅出兵を行い、馬韓(後の百済)・弁韓(後の任那・加羅)・辰韓(後の新羅)の三韓を攻略したことを示しているが、高句麗を含まない朝鮮半島南部地域を服属下においたとされる戦争のこと。
 
 神功皇后は、応神天皇の母として知られ、朝鮮や中国の歴史書にも関連する記事がある。
 
 新羅が降伏した後、三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入ったとされる。
 
 ただ、直接の戦闘が記されているのは対新羅戦だけであり新羅征伐とも呼ばれる。
 
 日本書紀の紀年論にみられるごとく年代はいまだ確定していない。そのため、神功皇后の活躍、三韓征伐のあった年代および、その史実の妥当性についての研究が続いている。
 
 倭国が新羅をはじめ朝鮮半島に侵攻した記録は、朝鮮の史書「三国史記」新羅本紀や高句麗における
   広開土王碑文
などにも記されており、2011年には新羅が倭の朝貢国であったと記されている
   梁職貢図
が新たに発見された。
 
   


   
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