2017年01月08日

不成就日(ふじょうじゅにち) この日から始めた物事はすべて成就しない悪い日のこと。


 陰陽道(おんようどう)で、この不成就日から始めた物事はすべて成就しないという悪い日のこと。
 不浄日(ふじょうにち)とも呼ばれる。
 



 

     
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2017年01月06日

戎(にゅう Róng) 中国の五帝時代から戦国時代にかけて、中国の西および北に住んでいた遊牧民族


 
(にゅう Róng)

 中国の五帝時代から戦国時代にかけて、中国の西および北に住んでいた遊牧民族のこと。

 中国の歴代王朝において、人口や家畜の増加や気象の悪化に伴う飢饉などに伴い越冬時期を中心に侵入しては略奪を行った。
 大別して西の戎を西戎といい、北の戎を北戎と呼んだ。

 なお、戎が滅んだ後世になっても、中国では蔑称として西戎や戎狄の語を用いることが多い。
 
 遊牧民である戎は数々の集団に分かれて活動しており、古代中国ではその居住地からとって集団の名としていた。

 

    
   
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2017年01月04日

葷粥(くんいく) 中国北辺の遊牧民族で匈奴の前身


葷粥(くんいく)

 中国の北方に住んでいたとされる遊牧民族で匈奴の前身と考えられている。
 
 歴史書「晋書」の四夷伝に「夏は樞といい、殷は鬼方といい、周は獫狁といい、漢は匈奴といった」との記録がある。
 樞,鬼方,獫狁,匈奴の語は同じものを指すが、中国の史書ではしばしば「獫狁、葷粥」と併記されており、この2つは別の部族ということになる。
 

 夏の桀王は無道なため、殷の湯王により鳴條へ放逐され、三年して死んだ。
 桀王の子の
   獯粥(葷粥)
は桀王の妾を妻としたうえ、北野へ避居して遊牧生活を始めたと楽彦括地譜の記録がある。

 夏の桀王の子である葷粥を始祖とした部族名とされるが半ば伝説的な時代であるため、信憑性はない。

 葷粥についてもっとも古く現れているのは斉の宣王(在位:紀元前319年 - 紀元前301年)が孟子に「隣国と交際する正しい道はあるでしょうか」と尋ねたところ、孟子が「智の人だけが小国でも大国と上手に交際できる」ということを例えるために引用した故事に登場している。

 黄帝の時代、葷粥は黄帝の統一事業の際に北へと駆逐された。

 なお、唐虞(陶唐氏の堯と有虞氏の舜)の時代、中国北方には山戎,獫狁,葷粥の遊牧民族があった。

 周の先王時代
   古公亶父
は領民に対し、徳を積んだ政治をおこなっていた。

 梭轣C戎,狄の3族の襲撃の攻撃に遭遇したが「領民を戦争に駆り出してまで君主にはなりたくない」と言って、国都である豳(ひん)を去って岐山の麓に移った。

 豳の領民たちは彼を慕って岐山の麓に移住し、さらに近くの人民たちも古公亶父の噂を聞きつけて岐山の麓に移住してきた。

 古公亶父は戎狄の風俗を卑しいとして退け、初めて城郭や家屋を築き、邑を区画して国を治めた。

 葷粥は匈奴と名を変え、モンゴル史上初となる大遊牧国家を築いていった。



    

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2017年01月02日

獫允(けんいん)


獫允(けんいん)

 中国の北方と西北方に位置した古代の民族で
   厳允、獫狁、玁狁
などと呼称された。

 史実としてはは青銅器の表面に鋳込まれた金文と先秦古籍において最古のものを見ることができる。
 ただ、居住地区が同じため「昆夷」などの名とともに混ぜ書きされることもある。

 殷を倒して王朝を開いた西周の中期、玁狁が強盛となり、焦獲に移住して武力を高め南侵した。
 鎬・朔方および陽にいたって、直接に周王朝を脅かす存在が意識されるようになると、周の宣王は大将の
   南仲
に軍を率いさせて北征させ、防備の拠点として朔方に築城させた。

 中国最古の詩篇「詩経」采微では、当時の周王朝と玁狁の戦いの状況と兵士の厳しい生活を「薇(わらび)を采り薇を采る、薇また止まんと作す。歸らんと曰い歸らんと曰う、歳また止むことなし。室を靡(す)て家を靡つるは、玁狁の故なり。啓居する遑(いとま)なきは、玁狁の故なり」と描写している。

 春秋時代においては玁狁は戎狄と呼称され、戦国時代には秦・趙・燕の北の地域に領土を確保していった。


 秦代には将軍の
   蒙恬
が30万の軍を率いて戎狄の軍を撃破したため、退去して拠点を北に移し、秦末にはゴビ砂漠の南北を統治していった。

 また、南は陰山を越え、黄河を渡り、オルドスの沃土を占拠した。

 漢王朝が劉邦により建国されると、多くの記録では玁狁を匈奴の先民とみなしたものとなり「史記」匈奴列伝には、唐虞以前には山戎・玁狁・葷粥があったと記述した。

 北蛮に居住し、家畜を放牧しながら移動した記録がある。

 ただ、匈奴その先祖は夏后氏の苗裔であるとの説とは矛盾したものとなっている。
 近代になってからの考証家により鬼方・昆夷と玁狁は同一民族の別の名称とされた。


 


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2017年01月01日

禊(みそぎ)と祓(はらい)


 神事における穢れを取り除いたり、厄を避けるための儀式として
   禊(みそぎ)と祓(はらい)
があます。

 禊は自分自身の身に
   穢れ
のある時や
   重大な神事
などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清め、身体の穢れを除去して浄める行為です。


 祓は神道の神事において
   禊や斎戒の後
に行われる、極めて重要な意義を持つ浄化の儀式で罪や災いをとり除く行為です。

 ただ、両者はその儀式としての機能が近く記紀の時代においても、「ミツギハライ」と複合した言い方もされていました。

 祓の意義としては、神を迎え交流するための準備として
   罪穢れのない清浄な空間
をつくりあげるひつようがあるため、神事に臨む個人だけではなく、この世界のあらゆる罪穢れを徹底的に祓い浄めたうえ
   「明(あか)き浄(きよ)き正しき直き」境地を求める姿勢」
こそが、神道の根本思想とされるため、祓のない神道祭式は存在しないとさえいわれる。

 また、祓による浄化の効果を増大させるために、祭場とは別の場所に忌竹を立てた斎場(いつきば)を設けて、祓所をつくることもある。

 神職は、祓所の前で祓詞を唱え、神事に参列する者たちの頭上や、供えられた神饌の上を、それぞれ左・右・左の順に祓串(大麻)を振って祓い浄める。


   

     


    
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2016年12月31日

霧虹(きりにじ)


霧虹(きりにじ fog bow、fogbow)

 霧等によって光が散乱され
   光の輪
となって現われる大気光学現象のこと。

 虹と似た有色の光の輪である光輪(グローリー glory)とは異なる。


   
   

 霧虹は白色の輪である事からも白虹(しろにじ、はっこう)とも呼ばれるが、 霧虹が白いのは、霧のように水滴が小さい気候状況の時はミー散乱によって光の色が分散されなくなる為のもの。


  
 

     
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2016年12月29日

月虹(げっこう)


月虹(げっこう)

 夜間に月の光により生じる虹のこと。
 昼間とは異なり、光が弱いために色彩が淡く、虹が七色ではなく白く見えることがおおいことから、白虹(はっこう)とも呼ばれる。
 なお、月虹の見える原理は、昼間の虹と同じ。


   
  

 月虹がよく観測されるハワイ諸島のマウイ島では、これを見た者には
   「幸せが訪れる」
   「先祖の霊が橋を渡り祝福を与えに訪れる」
といった伝承ががある。

 南米の世界遺産イグアスの滝や北米のヨセミテ滝でも、満月の時に見ることができる。



 

    
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2016年11月27日

大黒天(だいこくてん)


大黒天(だいこくてん)

 ヒンドゥー教のシヴァ神の化身である
   マハーカーラ
は、インド密教に取り入れられ、“マハー”とは大(もしくは偉大なる)、“カーラ”とは時あるいは黒(暗黒)を意味するので
   大黒天
という名前となり、あるいは大暗黒天とも漢訳され、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。

 マハーカーラは、戦闘・財福・冥府という3つの性格を持り破壊・戦闘を司る神としては、尸林に住み隠形・飛行に通じて、血肉を喰らう神である。

 この神を祀れば加護して戦いに勝つといわれ、財福としてはヴィシュヌや地天の化身として、インドの寺院にて祀られている。
 なお、冥府としては、焔摩天と同一視して塚に住むという。

 密教の伝来とともに、日本にも伝わり、日本で大黒天といえば一般的には神田明神の大黒天(大国天)像に代表されるように神道の大国主と神仏習合した日本独自の神をさすことが多い。

 天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされた。

 中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。

 密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗や天台宗で信仰された。
 インドでも厨房・食堂の神ともされていた。

 日本においては最澄が毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりといわれている。

 後に大国主神と習合し、室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰されるようになった。 




 
 
   
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