国家安全委員会(Комитет государственной безопасности Komitet gosudarstvennoy bezopasnosti 略称 KGB)
1954 年から 1991 年までソビエト連邦の主要な
治安機関
として活動していた。
チェーカー、OGPU、NKVDといったソ連の旧秘密警察機関を継承する組織である。
閣僚会議に直属し、「連邦共和国管轄」の最高政府機関として、
国内治安
対外情報活動
防諜活動
秘密警察活動
を担った。
KGBは、本部が置かれたロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を除くソ連の各共和国に同様の機関を擁していた。
KGBでは、多くの関連省庁、国家委員会、国家機関を運営していた。
また、KGBは、
ソ連軍
内務省(MVD)内務部隊
と同様に、軍法規に基づいて運営される軍事組織であった。
KGBの文書の大部分は機密扱いとなっているが、オンラインで閲覧可能な資料が2点存在している。
主な任務は、
対外情報活動
防諜活動
工作捜査活動
ソ連国境警備
ソ連指導部の警護
政府通信の安全確保
ソ連社会における反体制運動や分離主義運動の鎮圧
であった。
1991年12月3日、KGBは正式に解散した。
ロシアでは、KGBの後継として対外情報庁(SVR)がなった後
となる組織が設立された。
1991年から1992年にかけての南オセチア紛争後、自称南オセチア共和国は独自のKGBを設立し、名称はそのまま引き継いだ。
また、ベラルーシも1991年にベラルーシ・ソビエト社会主義共和国のKGBの後継組織
ベラルーシKGB
を設立し、こちらも名称はそのまま引き継いだ。
◯前身組織
・チェーカー(1917年〜1922年)
・GPU(1922年〜1923年)
・OGPU(1923年〜1934年)
・NKVD(1934年〜1943年)
・GUGB(1934年〜1941年/1941年〜1943年)
・NKGB(1941年2月〜7月/1943年〜1946年)
・MGB(1946年〜1953年)
・MVD(1953年〜1954年)
(1991年12月3日解散)
◯後継機関
・MSB (1991)
・TsSR (1991)
・AFB (1991)
・KOGG (1991)
1953年6月のベリヤ失脚後の内務省(MVD)再編により、1954年3月に
イワン・セーロフ
を長官とするKGBが設立された。
この動きに危機感を持った
ニキータ・フルシチョフ
による工作を受けてベリヤは失脚し、裁判で死刑判決を受けて銃殺刑に処せられた。
レオニード・ブレジネフ書記長は1964年にフルシチョフ首相を失脚させた。
ブレジネフ(在任期間:1964年〜1982年)は野心的な諜報機関のトップを警戒した。
共産党はセーロフの後継者であり、野心的なKGB議長
アレクサンドル・シェレピン(在任期間:1958年〜1961年)
を操っていたが、
シェレピンは1964年にフルシチョフに対するブレジネフのクーデターを実行した。
なお、当時シェレピンはKGBに所属していなかった。
ブレジネフは、シェレピンの後継者であり、彼の側近でもあった
ウラジーミル・セミチャストニー(在任期間:1961年〜1967年)
をKGB議長から解任し、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の閑職に左遷した。
シェレピン自身も、1965年に党・国家統制委員会委員長から
労働組合評議会議長(在任期間:1967年〜1975年)
に降格された。
1980年代、ソ連のグラスノスチ政策は、KGB議長
ウラジーミル・クリュチコフ(在任期間:1988年〜1991年)
を刺激した。
クリュチコフは1991年8月のソ連クーデターを主導させ、
の失脚を企てた。
ただ、1991年12月3日、クーデターに失敗したこととソ連の崩壊は、KGBの終焉を告げるものとなった。
KGBの現代における後継組織は、
FSB(ロシア連邦保安庁)とSVR(対外情報庁)となって活動が継続されている。