2025年07月17日

竹聯幇(ちくれんほう、ジュリェンパン)台湾三大黒社会組織(暴力団)のひとつ

竹聯幇(ちくれんほう、ジュリェンパン)
 台湾台北市を拠点とする
   黒社会組織(暴力団)
の一つで台湾全域及び国外にも拠点を有している。
 主要構成員数は約1万5千人、末端までの総数は10万人と言われている。
 四海幇天道盟と並ぶ、台湾の三大黒社会組織の一角と称される。
 竹聨幇は1955年頃、
   孫徳培
が現在の新北市中和一帯で組織した
   中和幇
をその起源とする。
 中和幇は勢力を拡大し中和、永和、板橋一帯を勢力下に置いた。
 1957年に孫徳培が古亭(現在の台北市大安区)のマフィア構成員を殺害、逮捕される事件が発生したのち、中和幇は内部分裂を起こした。
 その後、中和幇の幹部構成員の
   趙寧
が中心となって中和郷竹林路(現在の新北市永和区)で会議を開催し善後策を話し合った。
 その結果、幇主である孫徳培が逮捕されたが、幇主と幹部構成員の平等を尊重するために新しい幇主を設けないことを確認した。
 あわせて中和幇を竹林聯盟(通称は竹聯幇)とすることを決定した。
 1962年に台湾公安当局の集中的な取締りにより
   四海幇
が表向き解散し弱体化した情況を利用し、四海幇の地盤を奪取した。
 この抗争の中で
   陳啓礼
が組織の中で頭角を現し始めた。
 1965年、当時竹聯幇の構成員は500人を超え、他の黒社会の勢力範囲を併呑するなど急速に拡大し
   「天下第一幇」
と称されるに至った。
 1968年4月、竹聯幇は陽明山で会議を開催し、勢力拡大に伴う組織変更を行った。
 1970年7月、構成員の
   陳仁
が組織の資金を横領し逃亡したうえ、更に警察への保護を求めた。
 この事件は組織内部の不満を引き起こし、暗殺者として
   張如虹
とその他2名が命じられ、見せしめとして警察官の面前で陳仁を殺害する事件を引き起こした。
 派手な示威行為であった陳仁殺害は台湾社会に大きな衝撃を与え、背後で殺害を指揮した
   陳啓礼
が逮捕され懲役6年の判決を受けた。
 1972年、組織のトップ陳啓礼が逮捕収監されたことで組織の衰退を迎えた。
 竹聯幇では幹部構成員の支持を取り付けた
   張安楽
が竹聯幇再興に乗り出した。
 当時総護法(理事長に相当)であった張安楽は
   組織の制度化
を推進し、若い構成員を抜擢し側近とした。
 ただ、竹聯幇内部での抗争は治まらずに続き、旧派の周榕派の反発を受けたため張安楽は失望して1975年にアメリカに渡った。
 1976年、出獄した陳啓礼は竹聯幇再編を目指したものの、周榕派との内部抗争が続いた。
 ただ、周榕派は当局とからの締め付けもや、周榕派勢力の切り崩しで次第に陳啓礼に帰順させることに成功した。
 竹聯幇の実権を掌握した陳啓礼は初代幇主に就任して、内部を統一して更なる勢力拡大を実現した。
 1984年、陳啓礼体制で急速に発展した竹聯幇だが、その利権を巡り堂口間での内部抗争が繰り広げらるようになった。
 また、同年6月には四海幇は以前竹聯幇に奪われた地盤を回復すべく、黄埔幇と共に竹聯幇との間での武力抗争が発生した。
 この抗争の過程で両者は台湾の株式市場での経済戦を展開した。
 この影響から台湾の株式市場は混乱し、その結果両者は不当な株式利益を獲得した。
 この金融市場への介入が台湾政府の注目するところとなり、警察による徹底的な調査が開始された。
 10月15日に江南事件が発生すると台湾当局は全国で黒社会壊滅運動を展開した。
 竹聯幇でも多くの幹部構成員が逮捕され、陳啓礼も無期懲役(後に懲役15年に減刑)されるなどの打撃を受けた。
 江南事件は
   蒋経国伝
を記したアメリカ在住の台湾系米国人
   江南(劉宜良)
の暗殺を行った事件である。
 暗殺事件が発覚しアメリカ政府は中華民国政府に圧力をかけ、台湾民主化のきっかけになったといわれている。
 1988年までに台湾政府は300名の黒社会構成員の保釈を発表した。
 ここに竹聯幇再興の駒がが整い、幇主となっていた
   黄少岑
は台湾当局の取締りを避けるために台湾を離れて中国に進出、現地での勢力拡大を行った。
 幇主が不在となった竹聯幇では幹部構成員の推挙により
   趙爾文
が幫主(代行とも言われる。詳細不明)となり活動を続けた結果、構成員総数10万人の台湾最大の黒社会組織と成長した。
 近年、中国共産党が香港変換に伴いイギリスと妥協した
   一国二制度
を台湾にも適応することを主張する政党
   中華統一促進党
との関係が指摘されているほか、沖縄の指定暴力団
   旭琉會
との関係も報道されている。
 2022年5月7日、警察庁警備当局が旭琉會と竹聯幇が関係を深めていることから動向を注視している。
 この背後には香港、マカオ、台湾などへの情報工作を担当する
   中国共産党国家安全局第4局
が介在し、中国政府は香港民主化の力で弾圧した手法を使って
   民間の赤色資本
だけでなく、反社会的勢力のルートも駆使して台湾や日本への軍事侵攻前に
を引き起こさせるなど
   沖縄や台湾
に足掛かりを築き抵抗を削ぎ落とすべく
   デモや暴動、要人暗殺
などといった治安を悪化させる準備行動が行われている可能性が高い」との指摘がある。
 2025年2月4日、黄少岑が老衰のため台北栄民総医院にて死去した。
 ただ、次期幇主を任命しないままの逝去と見做されており、新たな権力構造の見極めなど警察当局による関心が続いている。
歴代幇主
・初代目(1968年〜1995年):陳啓礼
・二代目(1995年〜2025年):黄少岑
 ・代行(2001年〜2007年):趙爾文
 ・代行(2002年〜2004年):李宗奎
 ・代行(2004年〜2007年):胡台冨
・三代目(2025年〜):劉振南

     
posted by manekineco at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック