2026年03月09日

マヌー・チャブリア(Manu Chhabria)ドバイを拠点とするインド人実業家

マノハル・ラジャラム・チャブリア(Manohar Rajaram Chhabria)
   1946年3月1日 - 2002年4月6日
 通称マヌー・チャブリア(Manu Chhabria)は、ドバイを拠点とするインド人実業家であり、時価総額25億ドルの多国籍コングロマリット
   ジャンボ・グループ(Jumbo Group
のオーナーでした。
 チャブリアは、ムンバイのラミントン・ロードにある家業である
   ラジオ組立
   電子部品(主にフィリップス・インディア製)
を扱う
   ラジャ・ラジオ(Raja Radio
という店を経営することでキャリアをスタートさせた。
 1973年、チャブリアはドバイに移り住み、家族経営の販売代理店
   ジャンボ・エレクトロニクス(Jumbo Electronics
を経営した。
 同社はムンバイと同じ製品を扱っていた。
 当時のドバイは無名の辺境地でしかなかった。
 1974年、チャブリアは日本の電機メーカー、ソニーと交渉し、ジャンボ・エレクトロニクスがUAEにおけるソニーの独占販売代理店となる契約を締結した。
 幸運なことに、1973年の第四次中東戦争が10月に発生し
   石油危機
が起きた後に石油ブームが始まり、低迷していたドバイは石油マネーで潤うようになった。
 ソニー製品の独占販売店として、チャブリアのビジネスは想像を絶する規模で繁栄した。
 ドバイにはいかなる税金も存在せず、チャブリアはたちまち莫大な富を築いた。
 インドでは、ソニーと親交のあった80年代に、ムンバイでソニーブランドのカラー/白黒テレビ/ポータブルオーディオシステムの製造/組み立て部門を
   Orson Electronics Ltd.
という名前で立ち上げた。
 同社はその業界におけるインドの先駆者の1つとなった。
 Orsonは、インドの現代のエレクトロニクス分野では
   Onida
   Videocon
などよりはるかに前に登場し、ナンバーワンであった。
 オーディオ分野では、オランダの多国籍企業
   Philips
を打ち負かしていた。
 ただ、不運なことに、経営の失敗と、主に利益からドバイの
   Chhabria
に現金を流したことが原因で、その帝国はすぐに崩壊した。
 オーソンは、社内コンピュータシステムとアプリケーションを通じて、エレクトロニクス業界の生産・在庫・販売体制に革命をもたらした先駆者の一人となったが、1991年までには倒産寸前まで経営が悪化した。
 チャブリアはこの資金と、自身が属する
   シンディー人コミュニティ
を通じた人脈を活用し、インドにおいて、過小評価されていたり、経営難に陥っていたりするが
   基礎は健全な企業
を次々と華々しく買収していった。
 一連の企業買収は広く報道され、チャブリアはインドの堅実で
   旧態依然とした環境
において前例のない「企業買収者」として悪名高い存在となった。
 彼の重要な買収には、インドの酒類大手の
   ショー・ウォレス
や、経営難に陥っていたゴムタイヤ大手の
   ダンロップ
などがあった。
 チャブリアは1984年に
   R・P・ゴエンカ
のRPGグループと共同でダンロップを買収した。
 その後、チャブリアはRPGの株式を買い取り、単独筆頭株主となった。
 注目すべきチャブリアによる買収・合併が、
   事業上の相乗効果や補完性といった考慮
に基づいて行われていなかったことである。
 チャブリアは、市場における
   過小評価
   株式保有構造の弱点
を理由に企業価値が低くなっている企業を買収の対象とした。
 当時の報道では、チャブリアの意図はこれらの企業を経営することではなく、
   資産を剥奪して放棄(切り売り)
することにあると推測されるもので、経営再建するような意識は乏しかった。
 彼の主要な買収は、
   Shaw Wallace(酒類製造会社)
   Dunlop India(ゴムタイヤ製造会社)
   Falcon Tyres(ゴムタイヤ製造会社)
   Hindustan Dorr Oliver(水処理・汚染制御プロジェクト)
   Mather & Platt(ポンプセット製造会社)
   Gordon Woodroffe(貨物運送会社)
で、企業の総資産額は約6億ドルに上ったため、チャブリアは買収を継続することができなかった。
 それは、企業間の
   シナジー効果
が全くなかった為企業価値を高めることができないだけでなく、彼の教育やビジネス経験の不足が、規模の大小を問わず、特に内部的あるいは外部的な様々な問題を抱えていた。
 また、過小評価されている企業を経営する上で、何ら準備が整っていなかったためである。
 残念ながら、チャブリアが買収した
   経営不振企業への対処法
は、主に上級社員を、しばしば現場の従業員の前で
   罵詈雑言
を浴びせて吊し上げたうえ、
   解雇をちらつかせる
ようなた悪ふざけたことを繰り返すことによって、前任の経営陣から受け継いだ
   有効は才能
の多くが自主退職してしまい失われた。
 彼はまた、「ヘッドハンティング」にも手を染め、
   競合他社で優秀な人材
を高額の報酬を提示するなどの餌をちらつかせて雇い入れ、引き抜いた。
 そして、他の支援や投資は一切行わずに、数週間で成果を上げることを要求した。
 彼は労働者の恐怖心を煽って企業を運営し、
   自主的に退職した元社員
に対しては、しばしば
   法的措置
を取って恐喝行為を繰り返した。
 ただ、このやり方は、同様に悲惨な結果を招いた。
 チャブリア氏は自身の経歴に根本的な欠陥があることを認識したうえ、ハーバード・ビジネス・スクールの短期講座を数週間受講しただけだ。
 ただ、そもそも、この試みからも奇跡は何も生まれなかった。
 明らかになったのは、チャブリア氏の
   会計処理
   資金調達
における能力の欠落があるにも関わらず、慎重さよりも創造性が優先されていたということだ。
 彼の買収戦略は、産業界に
   多くの強力な敵
を生み出し、政府と金融市場からの信頼を失わせてしまった。
 個人として、また公務員として、詐欺(多数)、贈賄、脱税、違法な株式取引、従業員年金基金の未払いなど、
   多岐にわたる罪
が露わになり、彼に対して
   多数の訴訟
が提起された。
 インドの裁判所は彼に対して
   保釈不能の逮捕状
を発行した。
 彼はインドの地を踏むと同時に逮捕されることになった。
 このため、彼は亡くなる10年以上前まで国外逃亡し、すべての会社が拠点を置いていたインドを訪れることができなかった。
 彼はインド政府から逃亡者として認定される寸前まで追い込まれた。
 香港の裁判所でも、チャブリア氏に対する訴訟が提起された。
 長期にわたる訴訟の一つは、
   ショウ・ウォレス蒸留醸造グループ
の買収に関するもので、キングフィッシャー醸造グループの
   ビジェイ・マリヤ氏
と共同で買収を行ったとされるものだったが、マリヤ氏は規制上の理由からショウ・ウォレスの買収を禁じられていた。
 この買収は、チャブリア氏と、事業運営のためにインドに送り返した弟のキショア氏との間で訴訟も引き起こした。
 キショア氏はショウ・ウォレスの多くのブランドを自身の利益のために譲渡したとされている。
 1984年の華々しい時代から10年も経たないうちに、チャブリア氏は買収した事業がほぼ全てが経営悪化していることに気づいた。
 すべてが深刻な訴訟に巻き込まれ、彼の名声と信用は広く傷つけられた。
 彼の主力事業であるショウ・ウォレスは、178人の債権者から110件の清算申し立てを受けた。
 ファルコン・タイヤとダンロップ・タイヤは
   BIFR(破産手続き)
の対象となり、後にルイア・グループに売却された。
 マザー・アンド・プラットでは、労働組合が
   会社法委員会(CLB)
にチャブリア氏の
   経営権剥奪
を申し立て、これが認められた。
 オーソン・リミテッドはあっさりと倒産し、清算された。
 チャブリア氏は2002年4月6日、心臓発作のためムンバイで56歳で亡くなった。
 妻のヴィディヤ・マノハル・チャブリア氏と、コマール、バビカ、キランの3人の娘が遺された。
 現在、チャブリア氏の最も有名な買収企業であるショー・ウォレスを
   コマール・ラジブ・ワジール氏
が経営している。
 バビカ・ゴドワニ氏は同じく買収企業である
   ヒンドゥスタン・ドール・オリバー
を経営している。
 キラン・チャブリア氏は、チャブリア氏の最初のベンチャー企業であるジャンボをドバイで経営している。

    
posted by manekineco at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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